私が高校生のとき、駿台予備校の物理の先生で坂間勇先生という方がいらっしゃいました。いわゆる名物教師で、講習を受講するにも予約を取るのが大変というくらいの人気の先生でした。私も「坂間(呼び捨てにしてすいません)の物理は凄い」という噂を聞きつけ、ある年の夏期講習でやっとの思いで予約を取りました。しかし、期待に胸をふくらませて臨んだ講習初日、私はたまげました。大教室に300人以上がすし詰めになった私たちの前に、坂間先生はのっそりと入って来て、開口一番

「ノートをしまいなさい。私の授業ではノートをとることを禁止します」

 とおっしゃったのです! 耳を疑いました。苦労して取った予約ですし、親にお金も出してもらっています。それなのにノートをしまえだなんて……。ざわつく私たちに先生は続けておっしゃいました。

 「その代わり、私の言うことを一言漏らさず聞いていなさい。そして家に帰ってすぐそれをノートにまとめなさい」

 坂間先生というのはどこか仙人のような風貌をされていて、逆らうことは許されない雰囲気をお持ちだったので、私たちはみな、しぶしぶながらも先生の言葉に従いました。中にはこっそりノートを取ろうとする生徒もいましたが、そういう生徒はノートを没収されていました(そういうことがまだ許された時代でした)。そうなると、後はもうただただ、授業を聞くしかありません。

 ところが、この坂間先生の授業というのが、本当に刺激的なのです! 物理という学問が持つ意味や魅力を、自信にあふれた言葉で話し続けてくれました。坂間先生にかかると大学入試もただの通過点に過ぎないことがよくわかりました。とにかく目から鱗が落ち続ける授業だったので、授業の後はボクシングの映画を観た後のように、いつも興奮していました。そしてその興奮が冷めやらないうちに自宅に戻り、着替えもそこそこに机に向かって、夢中でノートを「作った」のをよく覚えています。耳の奥に残る先生の言葉、先生の話を聞いて自分が「ああそうか」と気づいたことなどを必死に綴っていったのです。そしてそういうノートを作っているうちにちょっと欲も出てきます。

 「教科書にはなんて書いてあるのだろう?」

 と気になりだしたのです。細かい話になりますが、私が高校生のときも今も、文部科学省の指導要領では物理は微分積分を使わずに教えることになっています。そのため教科書や一般の参考書の説明は、近似を使った曖昧な説明や、感覚的な説明が多く、「事実」として暗記事項にされてしまっていることも少なくありません。しかし、坂間先生の授業は微分積分を使いまくる授業だったので(もちろんその方がずっと本質的なので、なぜ文科省が微積を使わないことにこだわっているかは甚だ疑問です)、教科書等の記述と自分が聞いてきた先生の話は、同じことを説明しているはずなのに、切り口が全然違いました。

 でもまったく異なる2つの説明を照合していると、それまで一面的にしか理解していなかった話がとても立体的に見えてくるようになります。私はそれが面白くて、教科書の説明もノートに書くようになりました。そしてこの作業によって自分の理解がぐっと深まっていくのを感じていました。