われわれは、(かつて、あるいは今も会社によっては)毎日会社に行き、オープンオフィスの真ん中にあって、上司や同僚の打ち合わせの声や、電話の声が聞こえるようなところに席をあてがわれ、ぼうっとしながらも会議などに出て、無意識のうちに部員や他部署のメンバーの表情や態度を感知し、休憩室で他部署の人と雑談していた。実はそうすることで、多量の情報を獲得していたのである。

 伝達と目的と協働意欲の部分は会社に行って、皆の顔を見ながら、そして他人から見られながら働くという、ただそれだけ(!)で、組織的行動の重要な条件を知らずして満たしていたのであった。すなわち、

・管理者が、正しくタイムリーに良い情報を伝達せずとも、雑談や会社の雰囲気から必要かつ有益な情報を得ることができる。

・会社に行って社長や幹部の話ぶりを聞いていれば、彼らが公式の場でする話は大義名分の類いで、本当の目的が何なのかはだいたいわかる。

・出社することで、少なくとも会社にいる間は、人目があるため、会社に対する忠誠心を高く維持すべき状況におかれる。おかげで、協働意欲はそれなりにキープできる。

 目的、協働意欲、伝達(コミュニケーション)の3つの要素の多くが、オフィスに行く(通勤地獄という多大なコストを払って)ことで強制的に達成、維持されてきたのである。そのうえ、ほとんどの日本企業は、「飲みニケーション」という言葉があったり、非公式な組織による本業の補完機能(つまり、本業が終わったあとにも、建前上は業務外の「活動」として、社員同士で飲み会に繰り出したり、会社の運動会やクリスマスパーティーなどの行事に参加したりする)が抜群に高く、長年同じ会社に勤め、経営理念や行動規範を大事にすることから、道徳についても、かなり高い浸透度合いを示していた。

 凝集性の強い日本的な組織だったからこそ、会社は目的を明確に語る必要もなく、経営者が秩序と統合のための抜群の知的能力を持つ必要もなく、管理職がコミュニケーション技術を高めることもなく、従業員の協働意欲を維持するための特別な策を講じずとも、ここまでやってこられたのである。バーナードの言う組織が機能するための要件は、少なくとも少し前までの日本企業では(長短両面あるものの)、自然に備わっていたともいえるのだ。