アート思考とビジョン思考は違う?

末永:私からも若宮さんに質問なのですが、若宮さんが考えるアート思考とビジョン思考の違いは、どんなものなんでしょうか?

若宮:これも先ほどの話に若干関わるところがあるのですが、「アーティストは未来思考だ」とか「未来思考の考え方をアーティストから学ぼう」というアート思考の捉え方には、僕はあんまりピンと来ていません。

色々なアーティストの話を聞いたり、クリエーションしている様子などを見ていると、当然彼らにも出発点に「こういうのを作ってみよう」というマスタープランのようなものはあるんですけど、未来を想像してそこから逆算して制作している印象は受けません。アーティストの身体はもっと圧倒的に強く「現在」にある気がして、「今そこにある自分」を掘り下げて、理屈抜きにずっとそれをやり続けてしまうみたいな状態なんだと思うんです。

未来志向とかを否定するものではもちろんないんですけど、僕が持っている違和感が2つあります。

1つは未来思考をビジネスの場で言うと「PDCA(Plan Do Check Action)」と言われるものがありますよね。これは計画を先に置いて、そこから逆算してやっていく手法です。でも、アーティストは作品を作って行く途中でも、どんどんどんどん変わっていく。結果、思いもよらなかったものができる。そして、できた後に「これが作りたかったのか!」とわかる場合が多いんです。

もう1つは「自分」というものを考えた時に、僕が思っているのは、「あるべき自分」とか「ありたい自分」っていうのは、実は「自分」ではなくて「他分」なことの方が多いんじゃないか、ということです。未来志向とかいうと、すごく理想的な自分を思考の先に置いてしまって、「こうありたい」や「こうあらなければいけない」と考えてしまう。でも本当の自分って理想的なきれいなものではなくて、もっと歪(いびつ)だったりするじゃないですか。アート思考はむしろ、「自分」の歪さに出会い直していくことだと思うんです。

なんかその辺が、アート思考が未来思考やビジョン思考と違う部分なのかなって思います。例えば「テクノロジーの未来」とか言われると、ピカピカの流線形の理想的なものを考える方向にどうしても頭がロックしてしまうんですけど、例えば未来思考で考えている人でも、コロナの到来なんて予測できないじゃないですか。コロナウイルスっていうのが発生して、人々は外に出られなくなる未来なんて想像できませんよね。

なので、未来思考とかビジョン思考には「理想的なものを前提に考える」という要素が強いような気がして、どうも違和感あるんです。僕の中では、身体性とか偶然性みたいに「今ここ」とか、自分の歪な形を起点にして考えていくことがアート思考的なあり方だと思っています。

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末永:先の話にも繋がりますね。目指す花の姿が先にあるのか、タネと根が先にあるのかという。

若宮:本当にその通りだと思います。ビジョン思考や未来思考は、やっぱり先に花が咲くことを考えちゃうんですよね。そこに違和感があって。おそらく自分がタネの時に「こんな花を咲かせたい」と思っても、それに関係なく花って咲いてしまうものなんじゃないかって思うんです。その時、自分がこうだといいな、と思っていたのとは全然違う花が咲いてしまっても良くて、むしろアート思考ではそれを大事にしている。それが自分起点というか、花を咲かせることは焦んなくていいって言ったらいいのかな……それよりもその歪さを大事にして、結果、「あ、こんな花が咲いちゃうんだー」っていう感じでいいんではないかと。