参謀は上層部とも「対等の議論」をする
それを聞いた社長は、一瞬で事情を察知しました。
私の目を睨みつけながら、「お前は、あの決定の背景をよく知っているだろう? なぜ、彼の勘違いを指摘しなかったのだ?」と私に尋ねたのです。そして、私が即答できずにまごついていると、こう一喝。「お前は、副社長の言うことをそのまま俺に伝えたのか? そんなことで、お前の仕事が務まるか!」。
正直、酷だと思いました。
私はたかだか秘書課長にすぎません。社長と副社長というツートップの間に入って、メッセンジャー以上の仕事をするのは荷が重い。
しかし、社長の指摘ももっともです。私は「社長の秘書」です。社長の立場にたって、相手の真意を確認し、相手の理解不足や勘違いがあれば、社長に代わって、それを指摘し、相手の理解を得る必要がある。それができないのならば、ただの“子どものつかい”にすぎません。社長と副社長の“板挟み”になるのではなく、あくまで社長の立場で相手を説得できなければ存在意義がないのです。
だから、私は意を決して、再び副社長を訪問しました。
そして、社長が突っ込みそうなポイントを逐一質問したのですが、当然、副社長は「お前はそんなことを聞かなくていいんだ。いいから、俺が言ったとおりに社長に伝えろ」とヘソを曲げます。
そこで、私は、私の置かれた立場について理解を求めました。「私は社長の代理人です。社長に代わって、社長の認識と意思をお伝えするのが、私の役割なんです」と。そして、「自分の言葉」で副社長と対峙。なんとか、副社長の理解を取り付けることに成功したのです。
これには、冷や汗を大量に流したものです。いまとなれば笑い話ですが、あのときはきつかった。しかし、この経験で、私は、社長が求めていた「参謀」という役割の重要な側面について深く学ぶことができました。参謀は、メッセンジャー・ボーイではない。社長の「意思」を深く理解したうえで、「自分の言葉」で社内外を説得できなければならないのだ、と。
「自分の言葉」で語るから、
相手は納得してくれる
重要なのは、社長の「意思」を、「自分の言葉」で語れることです。
先ほどの副社長が、最終的に、私の話に納得してくれたのは、私が「社長の意思」をそのまま伝えるメッセンジャー・ボーイではなかったからです。
あくまでも、私は、自分が腹の底から納得した「社長の意思」を、「自分の言葉」で伝えたからこそ、副社長と私の間でも議論が成立したのです。副社長から疑問や質問が出されても、「自分の言葉」で打ち返すことができます。しかも、私自身が腹の底から納得していることだからこそ、私の主張にも、副社長が納得するだけの説得力がこもるのです。
これは、現場とのコミュニケーションでも当てはまります。
いや、現場に「社長の意思」を伝えるのは、副社長のような権力者に対するときよりも、さらに難易度が高いと言っていいでしょう。なぜなら、副社長などの権力者は、納得できなければ反論してくれます。しかし、現場が、「社長の意思」に対して反論するのは非常にハードルが高いものです。
そのデリケートさを認識しないまま、「これは社長の意思ですから、よろしくお願いします」といったコミュニケーションを取れば、どうなるでしょうか? 「自分の言葉」で語らない参謀との意思疎通は無理ですから、現場は、納得してみせるほかありません。そのことに、何の意味があるでしょうか? 一見、「社長の意思」が現場に行き渡るように見えて、その実態は「面従腹背」が支配する会社をつくるだけです。そして、経営と現場の間に、白々しい「距離」が開いていくだけなのです。
だから、私は、社長の意思決定に対して、自分が納得できるまで「質問」をすることを徹底しました。
考えうる限りの「観点」から、ほんとうに腹の底から納得できるまで、社長の真意、決定の背景を確認するのです。あるいは、日頃、現場から聞こえてくる“どうしようもない現実“を踏まえて、問題点を指摘する。ときには、社長にうるさがられることもありましたが、ここを怠ると参謀としての役割を果たすことができません。しっかりと腹落ちして、「自分の言葉」で語れるまで、徹底的に社長と向き合ったのです。