世界を変革するため
「芸術」と「技術」を再統合
芸術家の育成を目指す旧来の様式主義の美術学校に対し、バウハウスは、広く社会に向けた造形活動を行う新たなタイプの「芸術家」を育成しようとした。今でいう「デザイナー」のルーツともいえるが、現在のように狭義に追いやられてしまったデザイナーではなく、彼らによって世界を変革していこうという壮大な理想を描いていたのだ。
そのためにバウハウスにはそうそうたる面子がそろった。建築家のヴァルター・グロピウス、ハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、美術家のパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ヨゼフ・アルバース、ヘルベルト・バイヤー、プロダクトデザイナーのマルセル・ブロイヤー、構成主義作家のモホリ=ナギ、教育理論家のヨハネス・イッテンなど、当時、各分野の第一線で活躍する者たちがこのバウハウスで教鞭をとったり、学生として学んだりした。
それまで芸術家は感性の殻に閉じこもり、大衆に迎合することを拒んだ。技術者はひたすらその技を磨き続けることに没頭した。ある時代から分断されていた「芸術」と「技術」の再統合を試み、実現したのがバウハウスなのである。経済学者・ヨーゼフ・シュンペーターは『経済発展の理論』の中で「新結合」ということばを用いて「イノベーション」の概念を提唱した。そしてMIT(米国マサチューセッツ工科大学)のメディアラボはこれを実践すべく、反専門分野主義という考え方を掲げた。こうしたインターディシプリンな(複数の分野を横串で刺す)考え方を、バウハウスは今から100年前に実践していたのだ。
初代校長のヴァルター・グロピウスは「すべての造形活動の最終目標は建築である」と理念を述べている。「バウ」はドイツ語で「建築」を、「ハウス」は「家」や「館」を意味する。これにはもちろん、グロピウスが建築家であったことが建築に重きを置いている理由の一つではある。しかし何より、デザイン(当時は「造形」と表現)が自分たちの身の回りから離れていってはいけないという想いが込められている。
人は美しくすてきなものが身の回りにあることによって心が豊かになる。そのようなものは、一部の限られた人だけでなく、多くの人の手に行き渡るべきである。身の回りのもの、つまり、衣食住を考えると、自然と住まいや建築へたどり着く。バウハウスは住まいを含む、身の回りのすべてにおいて、芸術と技術を融合させることを目指した。そしてこの理念は産業革命以降、工業化が進むドイツや世界の潮流にフィットした。