一縷の望みは五輪への内定維持?
だが、最後の砦を自ら辞退する勇気を!
前回の記事でも書いたとおり、瀬戸大也が最も得意とする競泳男子400m個人メドレーは開会式翌日に予選、その翌日午前に決勝が行われる。リオ五輪でも、萩野公介がこの種目で優勝し、日本選手団の金メダル第1号に輝いている。東京五輪では瀬戸大也が日本に最初の金メダルをもたらし、東京五輪に勢いをもたらす期待が寄せられていた。もちろん今も、その可能性に変わりはない。
だが果たして、瀬戸への応援やメダル獲得の感激が「純度」の高いものになるだろうか? それが大きな課題だ。そう考えると、東京五輪までの時間は短い。これからわずか9カ月半の間に、どうすれば、世間に与えた失望と呆れを払拭し、純度の高い期待を背に、スタート台に立つことが可能になるだろう。
瀬戸がまだ首の皮一枚で確保しているものは「競技人生」と「東京五輪金メダルへの挑戦権」だろう。桃田の例を引けば、東京五輪を断念する選択もある。だが、桃田と処分を同じにするのは妥当ではない。片や明らかな違法行為であり、片や当事者間の問題だ。そして、競泳選手の選手寿命は短い。
いま瀬戸は、東京五輪内定の維持に望みを託しているかもしれない。収入を失い、強化予算を失い、練習環境がほぼ崩壊した現状で、もう一度予選からやり直すのは、相当な負担になる。心身にかかるストレスは大きい。だが、競技人生を維持し、東京五輪に出場する可能性を確保できるならば、自分から「内定辞退」を申し出ることは、いま瀬戸大也にできる大きな決断、反省と覚悟の表現ではないだろうか。
それが大変な負担であることは理解しているつもりだ。他人が勝手に勧めることでないのも承知で、あえてつぶやいている。あえてそれをすることで、瀬戸は東京五輪への挑戦権だけでなく、再び競泳選手としての期待を多くのファンから、平たく言えば世間から得ることができるのではないかと思う。
仮に日本水泳連盟の判断を待ち、内定取り消し処分を受けてからでは遅い気がする。瀬戸が、自らその決断をすることに重みがある。もしそれをしたならば、私たちはもうこれ以上、瀬戸の行状をあれこれ非難する気持ちを胸の奥に収めることもできるだろう。
(敬称略)
(作家・スポーツライター 小林信也)