「会議が多すぎて店長が現場に出られない」「日々の膨大な会議資料の作成」「異なる内容の管理会計の帳票が5つもある」――はびこる旧弊、緩んだ社内の空気。経営危機にあった鹿児島のスーパーマーケットチェーンを立て直したのは、専業主婦だった。主婦として消費者として、当たり前の感覚を武器に、業務改革を断行。後に「タイヨーの奇跡」と称される復活劇の経緯を追う第1回。(フリーライター 山本明文)
鹿児島県で食品スーパーマーケットの「タイヨー」や総合スーパー「サンキュー」など約100店を運営するのが株式会社タイヨーである。現在、多くの業種がコロナ禍で苦しむ中、着実に業績をあげ、県内の流通業をリードする存在となっている。だが、いまから8年前の2012年、タイヨーはどん底にあった。
「新規出店を重ねて会社の規模は大きくなっていました。でも、お店は増えているのに売り上げは伸びず、人件費は10年前の1.5倍に膨れていました」
当時を振り返るのはタイヨーの副社長、清川照美氏だ。専業主婦として夫である社長を支えていたが、かつて働いていたタイヨーに4年ぶりに戻って、最初に驚いたのが会社の窮状だった。
異なる内容の管理会計の帳票が5つも存在
当時のタイヨーの売り上げは約1200億円、営業利益は20億円。テナント料でかろうじて黒字になっていたものの、全国展開する同業チェーンに押され、約100店のうち半数以上が赤字に陥っていた。株価は上場当時の4分の1にまで下がり、買収のうわさが絶えなかった。
異なる内容の管理会計の帳票が5つも存在するなど、清川氏は経営のずさんさに寒気を覚えたという。だが、社内に危機感はなく、それが清川氏をさらに不安にさせた。
いったいどうなっているのか。このままではうわさ通り、会社を売らなければならない。だが、そうなるとリストラは避けられず、多くの従業員が路頭に迷うだろう。
自分たちの手で立て直すしかない。清川氏が選んだのがMBO(マネジメント・バイアウト)だった。上場を廃止して、経営陣が株主から自社株式を買い取る手法だ。経営権を一手に握り、思い切った大改革をいち早く断行させていく。