三井物産時代に
隙間市場を次々開拓

 私はさまざまなアイデアで世の中を変えたい、役に立ちたいという思考の人間だ。

 わかりやすく言えば、スティーブ・ジョブズのような存在になりたかった。

 大学卒業後、三井物産株式会社に入社すると、「軽機器」を扱う部署に配属された。事業領域があいまいな部署で比較的自由に仕事ができたので、携行できるものなら手当たり次第に扱った。

33歳のとき、中国初のハイテクベンチャー企業と提携して中国語ワープロをつくり、中国でシェアナンバーワンを獲得した。当時、世に出た日本語ワープロ専用機をヒントに、中国人向けのワープロを、現地事情を踏まえて開発したら大ヒットした。

 その後、北京に工場をつくり、現地生産する合弁企業を設立したが、2年で飽きてしまった。私は事業を立ち上げるのは好きだが、安定期に入ると熱が冷めてしまう。

 35歳のとき、今度は日本でハイテクベンチャー「三井物産デジタル株式会社」を立ち上げた。

 三井物産の社内ベンチャー制度を利用したため知名度と資金力があり、初年度から黒字になった。そこで9年やったが、一番ヒットしたのはレーザープリンタだった。

 ただし、普通のレーザープリンタを開発したら、キヤノンやエプソンなどの大手メーカーには太刀打ちできない。そこで肉眼では読めない小さな文字が打てる専用プリンタをつくった。

 当時はデスクトップ・パブリッシング(紙媒体の編集やレイアウトなどの作業をパソコン上で行い、プリンタで出力)ブームで、大きな装飾文字を打つプリンタはあったが、小さな文字は打てなかった。そこにニッチ(隙間)な市場が存在した。

 たとえば、税務申告書や保険証券の裏には細かい活字が並んでいる。4.5ポイントほどの小さな文字を打つプリンタのため、印刷会社に読めない文字をつくってもらい、データを圧縮する特殊な半導体をオーダーメイドで開発した。唯一無二の製品はかなり売れた。

 ボウリング場のオンライン採点装置で大きな利益を出したこともある。
 当時は、パソコンレベルの大規模ネットワークシステムはなかった。ボウリング場のスコアの集計と表示、カウンターでの料金精算ができた。ストライクが出ると、チアガールがダンスする画像が流れる。

 ただし、ボウリング場ではレーン上をボールが転がるたびに静電気が発生する。コンピュータネットワークには大敵だ。トラブルが多発した。

 あるボウリング場のオープン時の始球式で来賓の市長がストライクを出したが、静電気の影響でシステムが落ち、画面が真っ暗になった。このときは関係者にこっぴどく怒られた。静電気対策がされ、システムが安定するまで関係者には迷惑をかけた。

 その後、スポーツフォームの分析装置もつくった。
ゴルフのスイング、ピッチングフォームなどを撮影し、スロー再生、画面分割で一覧表示する機器である。ピッチングフォームを撮影し、ボールがキャッチャーミットに収まる音を感知すると、撮影を止めて数秒前に遡さかのぼり、スロー再生したり、9画面に分割して一覧表示したりする。

 いまならあたりまえの装置だが、当時は画期的なものだった。なんでも売れる直販部隊があり、力ずくで数百台売ったが、たいしたビジネスにはならなかった。