若き日のガンジーは
緊張のあまり弁護士失格に

御立:60歳にして自分自身のマネジメントをモデルチェンジされたわけですね。

土屋:遅いのですが。

御立:そんなことはないと思います。私は大学院で外国人学生相手に「リーダーシップ」の授業をしています。最初に取り上げるのはマハトマ・ガンジー(1869-1948)です。

土屋:インド独立の父、ガンジーですか。

御立:リーダーというと「若いときからカリスマ」というイメージがあります。でもガンジーは違う。インドのグジャラートで生まれ、ロンドンに留学して弁護士資格をとって22歳で故郷に戻ってくるのですが、あまりに緊張する性質だったために、法廷でまったく論述できませんでした。そのためにわずか1回で法廷弁護士失格になっているのです。

土屋:弁護士失格ですか。その後はどうしたのですか。

御立:しばらくは代書屋をやっていました。文字が書けない人に代わって書類をつくっていました。

土屋:意外ですね。

御立:その後、声をかけてくれたインド系商人がいて、夜逃げをするように南アフリカへ行きました。24歳のときです。
当時、イギリスの植民地であり、多くのインド人が使用人として働かされていた南アフリカに法廷弁護士として渡ったのです。
しかし、ひどい黒人差別を目の当たりにし、自身もさまざまな屈辱的な扱いを受け、列車から引きずり下ろされ殴られたこともありました。
インドに戻り、イギリスの支配や不正義に対し非暴力的な形での抵抗活動を行っていくのは40歳近くになってからで、独立宣言が公表され独立運動が活発化していくのは61歳のときです。60代、70代になって世界のガンジーになったのです。

土屋:外国人にガンジーの話をするとどういう反応があるのですか。

御立:みなさん驚かれます。偉大なリーダーが若いときからカリスマだというのは幻想です。若いときは平凡でも、一定の時間を経て人間味が熟成され、それまで隠れていたリーダーシップが発揮されることがあります。