ダーウィンとウェッジウッド

 一七〇〇年代まで、同じ皿やボウル、ティーカップなどの陶器を一度に大量につくろうという試みはされなかった。陶工が一つ一つ丁寧に、多彩な色の陶器を手づくりでつくっていたのだ。同じ物を注文しても、同じ形、同じ色にできる保証はなかった。

 チャールズ・パナティ著『はじまりコレクションⅡ だから“起源”について』(フォー・ユー)から、ジョサイア・ウェッジウッド(一七三〇~一七九五)による化学的な陶器づくりを見てみよう。

 ウェッジウッドは、一七三〇年にイギリスのスタッフォードの陶工の家に生まれると、九歳で実家の陶器工場ではたらき始めた。探究心に富んだウェッジウッド少年は、さまざまな試行錯誤を経て、伝統的な方法ではなく、化学的な陶器づくりにチャレンジする。

 その後、他の兄弟たちと折り合いが悪くなると、一七五九年に独立して陶器工房を立ち上げた。彼は、新しい釉薬や陶土の調合、焼くときの火加減などを克明に記録しながら実験を繰り返した。そして、一七六〇年代のはじめに、発色が安定した、上質で完全に再生産可能な陶器づくりを完成させたのだ。しかも、芸術性の高い製品だった。

 当時、イギリスは産業革命の夜明けを迎えていた。蒸気機関と低賃金の労働力が、陶器工場の生産性を向上させた。一七六五年には、シャーロット王妃よりティーセット一式の注文を受けた。

 翌年には、王室御用達製品としての「クイーンズ・ウェア」の名が与えられ、ヨーロッパ中の王侯貴族は彼の製品に魅了された。愛陶家として知られるロシアの女帝エカテリーナ二世は二〇〇人分の食器、合計九五二個のクイーンズ・ウェアを注文したという。

 大金持ちになった彼が一七九五年に亡くなると、遺産の大部分は娘のスザンナ・ウェッジウッド・ダーウィンに残した。

 その息子は「進化論」を提唱したチャールズ・ダーウィンである。ダーウィンは、生涯にわたって生活には不自由せず、研究生活に没頭できたらしいので、ウェッジウッドは、科学の発展に大いに貢献したとも言えるだろう。

 ちなみに、ウェッジウッドはいまも世界最大級の陶磁器メーカーの一つである。

※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

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左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。