自然と女性嫌悪的な発言をしてしまうような人は、これまで誰にも注意されてこなかったのだろうし、それどころかメディアでも差別的な表現が普通に使われてきたわけだから、問題とすら思ったことがないのだろう。


 でも、「女は30代になったらもう終わり」という冗談、「ちょっとは女らしく髪を伸ばせよ」というアドバイス、「子どもは母親が育てなければ」といった神話、「女が夜遅くまでフラフラしてるから危ない目に遭うんだろ!」という警告のすべてが、ほかでもない女性嫌悪だ。

 それを認め、新しい、慣れない見方で自分の生きてきた世界を眺めるのは難しく、時間がかかるのも仕方ない。波風を立てずに「こういう部分が間違っている」と男性に指摘する方法など、私の経験上、ほとんどないように思う。

 相手がジェンダー問題への感受性に欠けている人なら、できるのは、せめてその人が、愛する相手の言葉に耳を傾け、理解しようと努力してくれる人であることを願うことだけだ。

険悪になっても学び合えるか?

 でも、それが愛する人で、安全で適切な道を一緒に歩いていきたいのなら、とりあえず話し合う努力をしないわけにはいかない。どうしてそう考えるようになったのか、一緒にじっくり考えることができれば最高の関係になれる。

 もちろん何かあるたびに話し合ったり、やたらとフェミニズムという言葉を持ち出したりすれば、ケンカになることもあるだろう。それで別れることもあるかもしれない。別れるのが怖ければ、ぶつからないようにするほうがいいかもしれない。

 でもフェミニズムは、女性の人権に関する、自分の現実と切り離せない主張だ。

 安全で平等な世の中で女性が生きていくための努力が別れる理由になるのだとしたら、その関係は何によって成り立っているのだろう。

 もし、彼が会話をさえぎって、自分の被害者意識だけを主張する人だったら、方法は二つしかない。片方の努力だけでこれからの長い道のりを苦労して進んでいくか、この先の困難がわかりきっている旅をそこでやめるか、だ。

 単純に考えて、「昨日運動してケガしちゃって、膝が痛い」と訴えたときに、「だから? 膝が痛いくらいで何言ってるの?」と言われたらどうだろう?

 お互いのしあわせだけでなく、苦しみにも共感できる関係を築く必要がある。ケンカしても一つずつ理解して、自分から学ぼうとまではしなくても、彼女が教える知識に耳を貸そうとはしてくれる相手であれば、その関係は前向きにとらえられるのではないだろうか。

 それすらしたがらなければ? おそらく彼の問題は、単純なジェンダーに対する感受性の欠如ではないかもしれない。

(本原稿は『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』からの抜粋です)