寄付が最高の贅沢。
封印していたクラシックへの想いを解いた

強い会社を永続させる打ち手は、<br />実はシンプル。<br />すべては1人ひとりのお客様への真心宗次德二(むねつぐ・とくじ)
カレーハウスCoCo壱番屋創業者
1948年石川県生まれ。74年喫茶店開業。78年カレーハウスCoCo壱番屋創業。82年株式会社壱番屋を設立し代表取締役社長に。フランチャイズシステムを確立させ、国内外の店舗で1400店を超え、ハワイや中国、台湾など海外へも出店し現在も拡大中。2005年5月に東証一部上場。1998年代表取締役会長、2002年役員退任。03年NPO法人イエロー・エンジェル設立し、理事長就任。07年クラシック音楽専用ホール「宗次ホール」オープンし、代表に就任。著書に『日本一の変人経営者』ダイヤモンド社、『独断』プレジデント社がある。

稲田 ご結婚前、奥様のお誕生日にクラシックのLPレコードをプレゼントされたエピソードがご本にありましたが、クラシックはずっと聴かれてきたのですか?

宗次 ココイチ時代はクラシックを聴くことは一切封印しました。社内とか移動中の車の中で聞くのは、全店の朝礼テープや営業所の会議を録音したテープですね。

稲田 そうなんですか。

宗次 壱番屋からの引退が決まって、当時は会長職で本当に直前ぐらいですね。博多への飛行機の機内放送でルチアーノ・パヴァロッティっていう人、知らなかったんだけど聴いたらすごい歌声で。一気に甦ったんです。もう引退も決まったんだし、クラシックをまた聴こうって。

稲田 では、大好きだったクラシックを30年近くも封印されていたのですか。

宗次 そうです。25歳の頃にオープンした喫茶店の2号店はコーヒー専門店で、ヴィバルディだとか、バッハだとか、ヘンデルなどのバロック音楽をBGMにしていました。自分でレコード盤を買って。それ以来ですね。自分が聴こうと思って聴くことは無かったです。

稲田 あえて、封印していたのですか?

宗次 はい、そうです。もう経営に身を捧げようという想いで。

稲田 そちらに気を回す時間があるんだったら、経営のことを考えるということですね。

宗次 だから私、引退する2002年5月31日までは、他のこと一切、微塵も考えなかったです。引退して「さぁ、何をやろうか」って。自分の通帳をみて「これは自分のために使うためのものじゃない。社会からお預かりしたお金で、一時預かりにしよう」ということで、それをいま使っているんですね。なので、要請があると「ああ、待ってました。協力します」って。基本、断らないでやっています。最近は、桐朋学園大学に音楽ホールを寄付しました。隈研吾先生にデザインをしてもらって。

稲田 きっかけは何だったのですか?

宗次 「唯一、音大で自前のコンサートホールがないんです」って、学長さんからお手紙をいただいて。すぐに電話をして、大学へ伺って、「こんな良いところだったら、私やります」って返事をしたんです。竣工までは3年ほどかかりました。クラシックはとにかくね、片足突っ込んだ以上は応援したいんです。あと、日本演奏連盟を通じて演奏家を目指す方への奨学金提供もしています。

稲田 奨学金も。あと、楽器もご寄付されているんですよね。

宗次 そうですね。中学校の吹奏楽部から「楽器が買えない」とお手紙をいただいて。小中高の吹奏楽部に寄付をしています。今年で14年目。累計で2038台になります。

稲田 凄いですね。

宗次 寄付が最高の贅沢だなって、もうハッキリ言えます。本当に必要としている人に差し上げると、もう、その差し上げた段階で3倍から5倍の価値が生まれますからね。自分のためにお金を使っても、大した使い方をしないので。

稲田 ココイチ時代は封印していた音楽ですが、今となってはかなり聴かれているのですね。

宗次 ええ。一番会場に足を運んで聴いている人じゃないですかね。経営者としては日本で一番聴いていると思います。自分のホールでは、できるだけ聴かせてもらいたいですし、他にもサントリーホールだとか、いろんなところへも結構行きます。