ドン・Mは音楽を愛していました。ただ、彼はデータ処理の仕事をしており、自分の情熱を仕事にするという夢はほぼあきらめていました。一人前の男になることがどういう意味かもわからず、大人としてのあらゆる虚飾をまとうことで、一人前の男になれる日を待ち望んでいました。大学をきちんと卒業し、結婚し、スキルを習得し、仕事を得て、車やマイホーム、住宅ローン、芝生の生えた庭を手に入れました。ところが一人前の男になったと感じるどころか、ますます身動きが取れなくなってきている自分に気づきました。
イレイン・Hはとにかくコンピュータプログラマーの仕事が嫌いでした。彼女は最低限の業務しかこなしませんでしたが、腕が立つため解雇されることはありませんでした。彼女はあらゆる成功の象徴――スポーツカー、郊外の一軒家――を手に入れてきましたが、それでも退屈な仕事という穴を埋めることはできません。彼女は旅に出て、さまざまなワークショップにも参加しました。ところが、そのひとときがどんなに楽しくても、平日の憂鬱が晴れることはありませんでした。残りの人生もこんな毎日が永遠に続いていくだけ。ついに、そんなあきらめの境地にたどり着きました。仕事が人生から大切な部分を奪っていくのです。
クリスティーと彼女の夫は高給のIT業界で働く、典型的なディンクス――共働きの子なし夫婦――でした。若くて、お金持ちで、見た目もよく、まさに完全無欠です。ところがクリスティーは、職場の同僚がストレスで倒れ、デスクで死にかけるのを目の当たりにしました。日本では「過労死」と呼ばれています。1週間後、その同僚は職場に復帰し、何事もなかったかのように振る舞っていました。その様子を見て、彼女は何かが根本的におかしいことに気づきました。それから上司が血栓で入院し、職場の親友は解雇されました。クリスティーはストレスから精神安定剤を服用し、午前3時に急に目が覚めるようになりました。彼女は思いました。「もう我慢できない。こんな生活は割に合わない」
ニコルは父親の敷いたレールに従いました。父親は弁護士で、彼女にも専門職のトレーニングを受けるよう奨励したのです。仕事を始めればすぐに元が取れるため、費用は気にしなくていいという考え方でした。ニコルは8年以上かけてファミリー・ナース・プラクティショナー(一定レベルの診断や治療が可能な上級の看護職)の上級学位を取りましたが、ゆうに10万ドルを超える借金が残りました。
父親がロースクールを卒業した1969年とは時代が違いました。会社の人件費、家賃、諸経費、保険料、継続学習の費用を支払うと、残ったお金では借金の返済が間に合わず、利息は雪だるま式に増えていきます。最も需要のある部類の専門職の学位を手にしても、借金は増えるばかりでした。彼女は友人に「借金を完済できるとは思えない」と匙を投げました。