SNSに代表される現代の人間関係において、「共感がかつてないほどに重要なキーワードとなっている」と言われて異論がある人は少ないだろう。しかし共感は主観的なものであり、非常に捉えづらいものである(もちろん「いいね!」の数で測れるものでもない)。スタンフォード大学の共感研究における新進気鋭の心理学者として知られるジャミール・ザキは、「共感力は生まれたときから固定の才能ではなく、意識的に伸ばすことのできるスキル」と位置づけ、画期的な研究成果をあげている。今回、ザキが専門書ではなく、一般の読者にも広く共感について知見を深めてもらうための本としてまとめたのが『スタンフォード大学の共感の授業――人生を変える「思いやる力」の研究』だ。同書には、アンジェラ・ダックワース(『やり抜く力』)アダム・グラント(『Give & Take』)、キャロル・ドウェック(『マインドセット』)をはじめとするビッグネームからの賛辞が寄せられ、あいまいな共感をめぐる議論に一石を投じる本として世界中から絶賛の声が寄せられている。注目のこの本から、人は共感すべき対象であっても、タイミング次第でそれを拒絶してしまう自己中心性をもっているという研究結果について紹介する。

共感はタイミングしだいPhoto: Adobe Stock

「善きサマリア人」になるかどうかは、タイミングとお金しだい?

 共感することを選ぶ理由があるのと同じように、共感しないことを選ぶ理由もある。たとえば誰かが苦しい状態にあるのなら、その人と一緒にいると、自分にも火の粉がおよぶかもしれない。僕の友人で、心理療法士の女性は、うつ病の患者の診察を1日の最後にしないよう、スケジュールの調整に注意を払っているという。患者の闇を自宅にもち帰ってしまわないようにするためだ。

 1970年代、S・マーク・パンサーという心理学者がカナダのサスカチュワン大学で行った実験は興味深い。共感すると苦しくなる場面で、人は共感することを避けようとするのだという。実験では、人の出入りの多い学生会館内のテーブルに寄付を呼びかける紙を置き、いくつか異なるシチュエーションを作った。

 あるときは、そのテーブルは無人だ。あるときは、車椅子の学生がそばにいる。お知らせの紙に笑顔の健康そうな子どもの写真を載せたり、悲しそうな病気の子どもの写真を載せたりもした。車椅子や悲しい写真は、共感を誘う小道具だ。すると、こうした小道具を目にした学生は、テーブルをぐるりと迂回して室内へ入っていく。感情を動かされることを避けていたのだ。

 自分の時間やお金が関係してくると、共感は負担になり、人はかたくなに共感を避ける。たとえばマンハッタンの道路を歩けば、かわいそうな人、恵まれない人の存在がいやでも目に入る。一人ひとりを直視していたら、どうしても板ばさみになる。もっているお金を全部渡して、自分はすっからかんになるのか。それとも一銭も渡さずに、罪悪感を抱くのか。こうした状況で、人はたいてい共感を避けることを選ぶ。

 ある研究では被験者に、ひとりのホームレスの話を聞かせた。感情を揺さぶられるストーリーだ。被験者にはあらかじめ、「のちほど、この方に寄付をする場を設けています」と信じさせている。すると彼らはホームレスの話を極力聞かないようにしていた。共感できなかったのではない。彼らは能動的に、共感しないことを選んでいたのだ。

 ふだんは他人に手を差し伸べるタイプの人物でも、自分がいっぱいいっぱいのときは、人に対して無慈悲になることを選ぶ。心理学者ジョン・ダーリーとダニエル・バトソンは、プリンストン大学で神学を学ぶ学生を対象に、次のような実験をしている。

 まず、善きサマリア人の話で説教の原稿を書くように求めた。善きサマリア人の話は、新約聖書のルカによる福音書に出てくる。ある男がエルサレムからエリコへと向かう途中で、強盗に遭う。殴られて、息も絶え絶えになって倒れていると、幸いなことにサマリアの住民が通りかかった。サマリア人は「同情し、寄り添って傷に油とワインを注ぎ、包帯を巻き(……)看病をした」。傷にワインを注がれて嬉しいかどうかは、この際ちょっと置いておこう。ともかく神学生は話のポイントをきちんと理解して、思いやりの大切さについて語る原稿を書いた。その後、別の建物まで説教をしに行くよう指示された。

 ダーリーとバトソンはここにひとつ仕掛けをしていた。一部の学生には、説教の時間まで少し間があると告げ、焦らなくていいと話した。残りの学生には、説教の時間が迫っていると告げた。後者の学生は大慌てで走っていく。大学構内の庭をつっきり、目指す建物に到着すると、扉の前でひとりの男が座り込んでいる。近づいたときに男は咳をして、苦しそうにうめく。実は、男は実験の役者だ。この光景はこっそり録画されている。

 すると、急いでいなかった神学生は60%以上が男を手助けしたのに対し、時間がないと信じ込まされていた学生は、10%しか助けようとしなかった。こんなにあからさまな皮肉はないだろう─道に倒れた男を助けることの大切さを語るために急いでいるという理由で、道に倒れた男を無視したのだから。

 共感することを避けるとき、人はその過程で自分自身を傷つけている。数十年にわたる研究で多数のエビデンスが出ているとおり、人は他人に共感するとき、同時に自分自身のことも救っているのだ。共感すれば、友人ができやすくなる。大きな幸せを感じる。共感を避ける人と比べて、うつになりにくい。逆にいうと、他人のためにエネルギーを割かないと決めるとき、そうしたメリットを自分から奪っている。

 心理学者ジョン・カシオポが率いる研究チームは、被験者を10年にわたって追跡調査している。すると、ある年に孤独だった被験者は、翌年、自己中心的な傾向が増していることが確認された。そして、自己中心的だった被験者は、その後の年月で孤独とうつに陥ることが多かった。孤独な人には共感を避ける動機がある。うっかり他人に心を寄せると、その気持ちを受け止めきれない気がするからだ。そこで自分自身だけに目を向ける。そして余計に状況をこじらせるのだ。