偏差値がなかった状態からの脱却

経営危機からよみがえった「品川女子学院」、人を動かす4つの法則とは2020年竣工の新校舎C棟。最新設備を備えた理科室などがある 写真提供:品川女子学院

 中学受験に偏差値というものがあることは最初の学校で生徒から聞いていましたが、四谷大塚の偏差値表を見ましたら、“測定不能”ということで、本校の名前がありませんでした。模試で志望校に挙げてもらわないことには偏差値が出ないという仕組みをそのとき初めて知りました。そこからいろいろな塾を回って、「第5志望でもいいから書いてください」とお願いしました。

 当時は中学校での入試説明会もやっていなかったので、最初は知り合いの塾にお願いして、参加者5人の説明会でした。

――それがいまでは、2月1日午前の受験者数ランキングの15位に入るようになりました(ダイヤモンド・セレクト2021年8月号「本当に子どもの力を伸ばす学校」20ページを参照)

 最初のビジョンは「卒業生の母校をつぶさないこと」でしたが、今は、やりたいことが明確にあるので、教育理念に賛同する方が集まる、第一志望率の高い学校を目指しています。

 偏差値は合格可能性を測る基準としては便利な道具で、一つの指標にはなると思いますが、先ほどのランキングに並ぶ他校は偏差値が60以上で本校より一段高い層にあります。本校はユニークな学校なので、数字とは違う基準で選んでくださる方が増えてきているように感じます。

 説明会でも、「本校に入って漏れなく体験できることが二つあります」と言っています。それは「失敗」と「もめ事」です。失敗はチャレンジの結果であり、気の合わない人と組んでも、妥協せずに良いものを作ろうとすれば必ずもめます。チームの力でやり抜く人を育てたいと思っています。

――14位中央大学付属横浜(第1回)の偏差値が58、16位広尾学園(第1回)が61なのに対して、品川女子学院は51。その点だけでもユニークな存在ですね。

 本校は関東大震災の後の避難所から始まっています。その創立のDNAのようなものがあると感じています。「文句を言う前にまず行動」「チームでやる」「人の幸せが自分の幸せ」の三つです。明文化はされていませんが、10代から90代の卒業生を見て、共通すると感じる特徴です。

――たしか、ご実家は旧東海道品川宿にあるお寺でしたね。

 曽祖母(漆雅子)がこの学校を設立したのも、彼女の父である昌巌(しょうがん)の影響からでした。岐阜に生まれ、浄土宗の増上寺で学んだ僧侶で、北品川の法禅寺の住職に就きます。漆という苗字も法然上人にちなんだものです。

 明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)の時代を乗り越えた後、品川馬車鉄道(現・京浜急行)の設立に関与したことから還俗し、実業家から政治の道を歩みます。53歳で政友会の衆議院議員に。当時の首相である原敬の喜寿の祝いを、そのおカネを教育に向ければ後世に生きると振り替えてしまったこともあるそうです。

 座右の銘「志願無倦(しがんうむことなし)」は志を立てたらそれがかなうまで努力を続けるという意味です。彼の志願とは、人を育てることでした。晩年は女子教育にささげようと考え、国会を去ります。1920年、昌巌68歳の時のことでした。

 この3年後に関東大震災が起き、雅子が起こした荏原婦人会が設営した避難所の地域貢献への褒美として寄せられた10台のミシンなどを、女子の実用教育に生かしたことが、本校の起源となるのです。

>>(2)に続く