堀江貴文のベスト&ロングセラー『ゼロ』を、分かりやすく読みやすいマンガにした『マンガ版 ゼロ』。そのなかで、著者の堀江貴文は情報に飢えていた少年時代の思い出を語っている。インターネットのない時代に、情報がなかなか入ってこない田舎に生まれ、読書等にもあまり興味のない両親に育てられた彼は、いかにして現在の「情報ジャンキー」になったのか?
働き方や生き方に悩む若者のためのバイブル『マンガ版 ゼロ』の内容を紹介する連載の第5回!(連載の過去記事はこちらから)

ホリエモンに学べ!「情報とは誰かが用意してくれるものではなく、自らつかみ取るもの」

情報こそが外の世界への扉を開けてくれる

 前回の記事で「生まれや育ちなど、『変えられないもの』を持ち出して、自分の人生に言い訳をしてはいけない。自分の人生を切り開くのは、他の誰でもないあなたなのだ。」とお伝えした。

 もちろん、子どもの頃の僕がそこまで意識できていたわけではない。親が不在がちなのはやはり寂しかったし、家庭の温もりもほしかった。兄弟だってほしかったし、両親の明るい笑顔もほしかった。けれど、それらはないものねだりだった。

 そんな満たされない思いを乗り越えるきっかけとなったのが、百科事典を読みふけることだった。最初は何気なく手に取ったのだが、すぐその面白さにハマった。

 調べたい項目を読んでいくのではない。第一巻、つまり「あ行」の1ページ目から、最終巻「わ行」の巻末まで、ひとつの読みものとして通読していくのだ。いまで言えば情報から情報へとネットサーフィンしている感覚に近いだろう。ページをめくるたびに新たな発見があり、知的好奇心が刺激されていった。

ホリエモンに学べ!「情報とは誰かが用意してくれるものではなく、自らつかみ取るもの」

 インターネットもスマートフォンもない時代。僕にとっての百科事典は、社会に開かれた唯一の扉だった。当時の僕が求めていたのは、網羅的な「情報」だ。この山の向こう、あの海の向こうに広がっているはずの、現実の「世界」が知りたかった。

 もしも、僕が都会の文化的な家庭に生まれていたら、きっと百科事典なんか読んでいなかっただろう。児童文学を読み、豊かな感性を育んでいたのかもしれない。しかし、いまほど貪欲に情報を追い求める姿勢も身につかなかったに違いない。

 僕にとっての情報とは、誰かが用意してくれるものではなく、自らつかみ取るものなのだ。その後、自他ともに認める「情報ジャンキー」となる僕の原点は、外界の情報に飢えまくっていた、この子ども時代にある。

 百科事典の読書体験は、他にも重要な教訓を与えてくれた。それは、なにかに没頭することの大切さと、どんな環境にあっても自分次第で楽しさは見つけられるという確信だ。

(次回に続く。※この記事は、『マンガ版 ゼロ』からの抜粋です。)

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)
ホリエモンに学べ!「情報とは誰かが用意してくれるものではなく、自らつかみ取るもの」

1972年福岡県八女市生まれ。実業家。(株)ライブドア元代表取締役CEO。SNS media&consulting(株)ファウンダー。東京大学在学中の96年にオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を起業。2000年、東証マザーズ上場。04年以降、近鉄バファローズやニッポン放送の買収、衆議院総選挙への立候補などで既得権益と戦う姿が若者から支持を集め時代の寵児に。しかし06年1月に証券取引法違反容疑で逮捕され法廷闘争の末に実刑判決を受ける。11年6月に収監され長野刑務所にて服役。本書の原作『ゼロ』刊行直後の13年11月に刑期を終了し、ふたたび「ゼロ」からの新たなスタートを切った。現在は宇宙ロケット開発、アプリ開発、オンラインサロン運営などで幅広く活躍。