小学校時代の堀江貴文は、勉強はできたものの協調性に欠ける問題児だった。そんな堀江少年が大きく変わるきっかけになったのは、一人の先生との出会いだった。自らを理解してくれる人からのアドバイスによって、新たな世界への第一歩を踏み出したのだ。
堀江貴文のベストセラー『ゼロ』を原作とする『マンガ版 ゼロ』を紹介する連載の第6回は、人との出会いの大切さと、「ここではないどこか」へ一歩を踏み出す勇気について!(連載の過去記事はこちらから)

ホリエモンが考える「自分を理解してくれる人との出会い」の大切さ

人生を変えた先生との出会い

 小学校時代の僕は勉強ができた。だが、通知表の素行欄にいつも「協調性がない」と書かれ、先生からもクラスメイトからも煙たがられる(多動の)問題児だった。掃除はサボってばかりで、日直などの仕事もやらない。遠足に行っても単独行動をとってしまう。

 そして気に食わないことがあると、すぐに取っ組み合いの喧嘩をする。柔道のおかげで腕っぷしには自信があった。ましてや、口論で負けることなどありえない。毎日のように誰かと喧嘩していた。

 なぜそんな問題児になってしまったのか?

 たぶん僕は苛立っていたのだ。自分自身に、さらには自分の置かれた環境に。

 けれど一方でいつもどこかで醒(さ)めていた。ここが自分の居場所ではないような、自分だけみんなと切り離されたような、言葉にできない疎外感を抱いていた。

 そんな僕に、はじめての理解者が現れる。小学3年生の担任・星野美千代先生だ。

 星野先生は、僕の生意気なところ、面倒くさいところ、そして不器用なところを、すべて面白がってくれた。せっせと百科事典を読んでいることも、ほめてくれた。こんな僕にも理解者がいて、応援してくれる人がいる。それだけでうれしかった。

 そしてなにより、先生が他の大人と違ったのは「みんなに合わせなさい」と言わなかったことだ。むしろ、その個性をもっと伸ばしていきなさい、と教えてくれた。

ホリエモンが考える「自分を理解してくれる人との出会い」の大切さ
ホリエモンが考える「自分を理解してくれる人との出会い」の大切さ

 そんな星野先生が、久留米(八女からすると、ずいぶんな都会だ)にある『全教研』という進学塾に行くことを勧めてくれたのだ。僕は懸命に親を説得し、4年生から『全教研』に通うことになる。

 もしも星野先生のアドバイスがなかったら、僕の人生はどうなっていたのだろう? 地元の中学に行き、そのまま八女で一生を過ごしていたのだろうか。その人生がいいとか悪いとかではなく、いまの僕にはまったく想像がつかないことだ。人との出会いがいかに大切か、結果的に先生はそのことも教えてくれた。

 僕にとってはじめての理解者であり、まっ暗な道に光を差してくれた人。いまの僕があるのは、間違いなく星野先生のおかげだ。

「ここではないどこか」への
一歩を踏み出す

 塾のある久留米の街は、なにもかもがキラキラと輝いていた。

 デパートもあれば映画館もあり、ゲームセンターからボウリング場まである。オシャレな若者が行き交い、夜にはイルミネーションが輝く。八女の田舎とはなにもかもが違った。

 塾に集まる子どもたちも、みんな面白かった。塾は授業のレベルも高く、小学校のように「遅い子に合わせよう」という発想はいっさいなかった。できる子は自分の好きなスピードでどんどん先へと進んでいける。とてもシンプルで合理的だ。

 すると、あれだけ退屈だった勉強が面白くなり、よりむずかしい問題、より新しい課題を求めるようになっていく。塾のある日は柔道も休めるし、刺激的な友達とも会えて、おいしいものも食べられる。しかも勉強が楽しくなるのだ。こんな世界を知ってしまったからには、もう八女の生活には戻れない。

 僕は、刺激のない田舎町に退屈しきっていたのだと思う。都会に出て、たくさんの刺激を吸収し、面白い仲間と出会う、そのことを痛切に求めていたのだ。

ホリエモンが考える「自分を理解してくれる人との出会い」の大切さ

『全教研』に通い始めたことで、ぼくは八女の山奥に閉じ込められる日々から抜け出すことができた。ここではないどこかに向けて歩み始めた。まだまだ小さな一歩には違いない。しかし、確実な一歩を踏み出したのである。

(次回に続く。※この記事は、『マンガ版 ゼロ』からの抜粋です。)

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)
ホリエモンが考える「自分を理解してくれる人との出会い」の大切さ

1972年福岡県八女市生まれ。実業家。(株)ライブドア元代表取締役CEO。SNS media&consulting(株)ファウンダー。東京大学在学中の96年にオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を起業。2000年、東証マザーズ上場。04年以降、近鉄バファローズやニッポン放送の買収、衆議院総選挙への立候補などで既得権益と戦う姿が若者から支持を集め時代の寵児に。しかし06年1月に証券取引法違反容疑で逮捕され法廷闘争の末に実刑判決を受ける。11年6月に収監され長野刑務所にて服役。本書の原作『ゼロ』刊行直後の13年11月に刑期を終了し、ふたたび「ゼロ」からの新たなスタートを切った。現在は宇宙ロケット開発、アプリ開発、オンラインサロン運営などで幅広く活躍。