矢野康治・財務事務次官の「論文」が大きな話題となっている。官僚が政治家に対して異論を唱えたことを問題視し、更迭を求める声もある。しかし、この「論文」は、そんなことよりもはるかに重大な問題をはらんでいる。積極財政論者のみならず、健全財政論者であっても批判すべき、“あまりにもヤバい問題”とは、何か?(評論家・中野剛志)
「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にあるまじき行為
矢野康治・財務事務次官の論文「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」(『文藝春秋』11月号)が大きな話題となっている。官僚が政治家に対して異論を唱えたことを問題視し、更迭を求める声もあるという(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021101100809&g=eco)。
しかし、この矢野次官の論文は、そんなことよりもはるかに重大な問題を二つ、はらんでいる。にもかかわらず、その二点とも、なぜか看過されているのである。
第一の問題は、矢野次官が、自ら言うように「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にいながら、そういう立場にはあるまじき行為に及んだということにある。
それは、どういうことか。
矢野次官は、次のように書いて、日本が財政破綻すると警鐘を鳴らしている。
このままでは日本は沈没してしまいます。ここは声だけでも大きく発して世の一部の楽観論をお諫めしなくてはならない、どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならないと思います。
仮に、その通りだとしよう。
その一方で、矢野次官は、論文の後段では、こうも言っている。
後段で矢野次官が述べていることは、要するに、日本の財政が悪化するというメッセージを世界に対して送ると、日本国債の格付けが下がり、長期金利の高騰を招いて、日本経済全体に悪影響を及ぼすという論理である。
仮に、そうなるとしよう。
問題は、日本国債の格付けが下がり、日本経済全体に悪影響を及ぼしかねないメッセージを送っているのは、ほかならぬ矢野次官自身だということである。まさに、この矢野論文こそが、そのメッセージなのだ。
「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にいる者が、日本は、氷山に向かって突進しているタイタニック号のように、財政破綻に向かって突進していると告白したのである。それも、「どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならない」という確信に満ちた強い口調なのだ。
もし、企業経営者が公の場で「我が社は、タイタニック号のように、破綻に向かって突進しているのです」と力説したら、その企業の株価は暴落するだろう。
あるいは、銀行の頭取が、「我が銀行は、このままでは破綻します。どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならないと思います」などと言えば、取り付け騒ぎになるだろう。
それと同じように、もし我が国の財政が本当に破綻に向かっているならば、「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」である財務事務次官が「日本の財政は破綻に向かっています」などというメッセージを送ったら、金融市場が即座に反応し、日本国債は一斉に売りに出され、金利が高騰することになってしまうだろう。
本来、「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」の者は、金融市場への影響、さらには日本経済全体への影響を十分に考慮し、その発言には慎重でなければならない。
歴代の財務事務次官が、財政危機を懸念しながらも、少なくとも在任中は、公の場での主張を控えていたのは、そのためもあろう。「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」として、財政破綻を恐れるからこそ、自ら財政破綻の引き金を引くような発言は慎むのである。
ところが、矢野次官は、あろうことか、異例の強さで「このままでは、日本の財政は破綻する」というメッセージを発してしまった。
これは、官僚が政治家に対して異論を唱えたなどということよりも、はるかに重大な問題である。
要するに、矢野次官は「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」としての自覚を欠いているということだ。この点は、積極財政論者のみならず、健全財政論者であっても、批判すべき問題のはずである。