常識を超えた妄想が、未来のプロトタイプになる
さて、ハリウッドに残された分厚い絵コンテは、その後どうなったのか? 実は、『スター・ウォーズ』『ターミネーター』『プロメテウス』『ブレードランナー』といったそうそうたるSF映画に多大な影響を与えたのである。さらに、ギーガー、フォス、オバノンといった「魂の戦士」たちは『エイリアン』でチームを組み、映画史に残るエイリアンの不気味な造形を生み出した。ホドロフスキー本人もメビウスと組んで『アンカル』という傑作コミックを制作し、大友克洋や寺田克也にも影響を与えている。つまり、ホドロフスキーの妄想から、新たな創造が続々と生まれたのだ。
この一連のプロセスは「SFプロトタイピングの意義」そのものを示している。筆者は『SF思考』で「失敗を楽しもう」と繰り返し書いた。失敗は成功の糧になるだけでなく、それ自体に価値があるからだ。筆者にも、企業のビジョンをSF小説に仕立てたものの「過激すぎて外に出せない」と言われてお蔵入りになった経験がある。だから無駄だったか、というとそうではない。失敗やむなしの過激さは人を刺激し、議論を生み、新たな創造を生む。ホドロフスキーの『DUNE』は完成した映画にはならなかったが、絵コンテが未来のプロトタイプとなって、その後のSF映画を変えた。ホドロフスキー本人もこう言っている。
失敗が何だ? だからどうした? 『DUNE』はこの世界では夢だ。でも夢は世界を変える。
こうした経緯を踏まえれば、ヴィルヌーヴ版『DUNE』は、ハーバートが構想した原作のスケールをようやく可視化できた成功作といえそうだ。監督の手腕もさることながら、映像技術の進化や環境意識の高まりという意味でも、時代がようやくハーバートやホドロフスキーに追い付いたともいえる。
ただし、映画で描かれているのは物語のイントロ部分にすぎない。すでに2作目が企画されているのは喜ばしいが、ぜひその続編も実現してほしい。また、修道女集団ベネ・ゲセリットを題材にした外伝『デューン:シスターフッド(原題:Dune: The Sisterhood)』というドラマ化企画がスタートしているというのも楽しみだ。いずれにせよ、半世紀以上の時を超え、この不世出の作品の再評価のタイミングに立ち合えたことは、いちSFファンとして望外の喜びである。