もし立憲民主党が生まれなかったらどうなっていたか

 立憲民主党の結党という枝野氏の大局観なき行動がなければ、日本政治はどのように変化する可能性があったか。再び、政治学の理論をアレンジして用いれば、「穏健な保守中道二大政党制」に向かったかもしれなかった。

「穏健な保守中道二大政党制」とは、安全保障を政争の具とせず、経済財政・社会保障政策など内政面では「改革が手ぬるい」「よりよき政策がある」と、保守と中道が競い合って、現実的な政策を作り上げていく体制だ。

 もちろん、逆に小池都知事・前原代表に、大構想があったわけではない。小池都知事は安倍首相に権力闘争を挑みたかっただけだ。前原代表には、「民進党が共産党に食われ続ければ、大幅な議席減となる」という、やむにやまれぬ思いがあった。

 それでも総選挙後には、たとえ政権交代を実現できなくても、民進党内にいた左派はほぼ絶滅し、共産党との共闘は終焉し、希望の党が野党第1党になったはずだった。そして、「安全保障を政争の具にしない政治」であり、「より改革的な政策とは何かを競い合う政治」が始まったはずだ。そして、過去の因縁を超えて、希望の党に維新の会も合流し、「穏健な保守中道二大政党制」が出現していたかもしれない。

 立憲民主党の結党とは、一度は実現するかに思われたこの動きを必死に止めたものだった。その後出現した「分極的一党優位制」で利益を得たのは立憲民主党ではなく、自民党と共産党だったのだ。

 そして、安倍政権による強引な政権運営、権力の私的乱用、人事権の乱用と官僚の「忖度」、スキャンダルの頻発と、それに「万年野党」が金切り声を上げて反対する、日本政治の堕落が起こった(第226回)。

 また、政治だけではなく、国民もおかしくなった。安倍政権を支持する人も、左派を支持する人も、お互いに感情的に反発し合い、政策をまともに考える力を失っていった。

 その意味で、枝野氏による立憲民主党の結党は、万死に値するほどの愚行であった。枝野氏は党代表を辞任したが、それだけでなく、議員辞職し、政界を去るべきだ。