アンゴラでは、石油によってもたらされた滝のように流れ込む富が、住宅から散髪に至る現地の商品価格やサービスの値段を押し上げていった。この価格高騰が、やがて輸入品と対抗できないほどにまで、地場産業や農業に追加の破壊的打撃を与えた。
これと同様の現象がロンドンのシティでも起きていた。どんどんシティに流れ込むカネ(とシティの中で生み出されたカネ)は、住宅価格や商品価格を押し上げ、イギリスの輸出産業は外国企業との価格競争で不利な立場に追い込まれていった。
石油ブームや石油バブルの崩壊も、アンゴラに壊滅的な影響をもたらした。経済が好調なときには、首都ルアンダの空に林立していたクレーン群は、バブルの崩壊とともに未完成の巨大なコンクリートの残骸だけを残した。好景気時に行った巨額の借り入れは、不景気時には負債の山を築き、問題をさらに深刻化させた。
イギリスの場合、金融バブルとその崩壊はタイミングも異なり、さまざまな要因で引き起こされたが、石油バブルとその崩壊は、ラチェット効果を生む。好景気時には優勢な産業が他の経済部門にダメージを与えるが、バブル崩壊時にダメージを受けた部門が簡単に再興できるはずもない。また、晴れているときには傘を差し出し、雨が降れば傘を取り上げることでつとに有名な銀行家が、かえって問題を深刻にしている。好況時には信用供与の蛇口を最大限に開き、貸出を増やすことで効果を倍増させるが、物事が萎縮し始めると、速やかに回収を強行し、不景気をより悪化させてしまう。
フランスのような「普通」の経済構造の国の場合には、富は幅広い産業、例えば工場や建設現場、銀行、漁業、ケータリングなどさまざまな分野で働く人々によって生み出されている。一方、政府は、警察や道路、学校、法の支配、下水等を整備し、それらの財政的支援を行う役割を担っている。そのため、政府は、選挙民および産業界と話し合い、彼らから税金を徴収せねばならず、その話し合いを通じて検証可能で健全な説明義務、相互責任が育まれている。
しかし、アフリカ諸国のように政治家集団の上層部にオイル・マネーが勢いよく流れ落ちてくる場合、政府は市民と協議や交渉を行う必要すらなくなる。オイル・マネーは権力の抑制と均衡、さらに行政構造までも破壊し、政権の座に居座る者は、原始の政治のやり方に先祖返りする。すなわち、自分で富の分配を行い、また自分への忠誠と引き換えに取り巻き連中に富を手にする許可を与えるのだ。そして、もし市民が不満を口にしようものなら、オイル・マネーは民兵的な警察を使って取り締まりを行う(そのこともあってか、石油依存経済の国々は往々にして独裁的である)。
アンゴラのような石油中心の経済構造を持つ国を川にたとえて描くならば、石油のもたらした富(財宝)を満載した小型船団が滑るように川下に向かっている。途中には関所が設けられ、通過する船から通行料を徴収している。しかし、通行料の徴収の大部分は川上で行われ、川下に下るにつれて川の流れはより多くの細かな支流に分岐し、配分される富は極端に少なくなる。ほとんどの人々は川下の先の扇状地に住んでおり、配分可能な富はほとんど残っていない。
イギリスでもこれと同じようなことが起きている。イギリスはアンゴラと比べても、より多様な経済構造を有しているので、末端の現場でも十分な富が生み出されている。しかし、それと同時に川上にも、ほとばしるほどの富が流れ込んでいるのだ。その富は地中のパイプラインから吸い上げられるのではなく、その大部分が他の産業分野から吸い上げられるよう、金融セクターによって設計されたものなのである。
この金融セクターによる川上からの富の流入は、イギリスを独裁国家に変貌させるまでにはまだ至っていないが(しかし、経済規模の小さなタックスヘイブンでは、その経済の金融への依存度の高さゆえに独裁に近い状態になっているのも否定できない事実である)、現実に起きていることは、金融分野がしばしば他の経済分野と利害が衝突し、敵対した場合にはつねに金融分野が勝利していることだ。