芥川賞って、興味あります? あるという方、『タイム・スリップ芥川賞』という本が発売されたことをご報告いたします。ないという方、ぶっちゃけ芥川賞ってどう思います?「おもしろそうだ」って、思えますか…? わたしはかつて、そう思えませんでした。でも芥川賞ってもう100年近く続いてます。受賞作は必ず話題になり、書店でもたくさん展開されて、50万部100万部のベストセラーになったりします。何なんでしょうか芥川賞。芥川賞の歴代全受賞作を読み尽くし『タイム・スリップ芥川賞』を書いた菊池良氏が、「そもそも芥川賞にはどんな歴史と価値があるのか?」を踏まえて、今回の候補5作品のあらすじをお伝えします。今日の発表前後に、ぜひご覧ください。(構成:編集部/今野良介)
日本で一番話題になる文学賞の謎
2021年12月16日、第166回芥川龍之介賞の候補作が発表されました。
そして本日、2022年1月19日に選考会が行われ、受賞作が決定します。すぐに受賞者による記者会見が行われ、今日のうちにニュースとして流れるでしょう。
これまでたくさんの芥川賞受賞作がベストセラーとなり、ときにはその内容が賛否両論を呼んできました。
なぜ芥川賞は、これほどまでに時事的な話題を提供するのでしょうか?
そもそも芥川賞は、菊池寛が文芸を盛り上げるために、直木賞とともに発案したものです。第1回は1935年に行われ、石川達三の『蒼氓』(そうぼう)が受賞しています。これはブラジルへの移住を求めて神戸の移民収容所に集まった人々を描いた小説です。以降、芥川賞は、終戦前後の中断を挟むも現在までつづけられ、日本最長の文学賞となっています。
そんな芥川賞の「謎」と「魅力」に迫りたいと思います。
芥川賞に徹底している「ルール」
芥川賞のルールをおさらいしておきましょう。
芥川賞は年に2回、上半期と下半期に分けて行われる純文学の新人賞です。「新人賞」ですが、公募制ではなく、雑誌に掲載された作品の中から選ばれます。
上半期は12月~5月、下半期は6月~11月のあいだに掲載された中短編の小説が選考対象です。雑誌に載ったものが対象ですから、この時点ですでにある種のフィルタリングがかかっていると言えます。
そして、芥川賞は「新人」が選考の対象となります。「新人」というぐらいですから、デビューしたての人も候補に選ばれ、デビュー作で受賞した人も少なくありません。「新人」だからこそ切迫したテーマが選ばれ、荒削りで賛否両論を呼ぶような作品も出てきます。
作品の内容においては、次のような特徴があります。
純文学はそのジャンルの特性上、舞台は近現代の私たちの住む世界になることが多いです。それゆえ自然と、社会の問題点や個人と社会の関係性を描くことになります。さらに純文学は物語の展開のさせ方において、予定調和を廃す傾向にあります。個人と社会の関係性を予定調和を廃して書くことによって、異形の作品が生まれていきます。
芥川賞のもう1つの特徴は、選考委員に小説家しかいないことです。いま選考委員を務めている9人はすべて現役の小説家です。自らも小説を書き、それによって磨かれた審美眼で作品を選びます。つまりプレイヤーの視点で優れた作品が選ばれるというわけです。これにより、芥川賞は世間的な話題を集める賞にもかかわらず、文学的に尖った作品が選ばれます。
過去においても、一部の例外を除いて選考委員はすべて小説家で固められています。
芥川賞は約90年にわたって一貫してこれらの特徴を保っています。これらの特徴が複合的に絡み合って、芥川賞は世間を驚かせるような非常にアクチュアルな作品が受賞作に選ばれるのです。
では、最新の芥川賞の候補作は?
そういった視点で見ると、今回選ばれた候補作も、どれも現代性のある多種多様な作品が選ばれています。
今回の候補作は、次の5作品です。
・砂川文次『ブラックボックス』
・石田夏穂『我が友、スミス』
・乗代雄介『皆のあらばしり』
・九段理江『Schoolgirl』
・島口大樹『オン・ザ・プラネット』
このうち、石田夏穂、九段理江、島口大樹の3名は初の候補選出です。
どんな作品なのか、それぞれかんたんに紹介しましょう。
本日発表、候補5作の「あらすじ」
砂川文次さんの『ブラックボックス』。
企業から企業へ荷物を届けるメッセンジャーとして働くサクマという男性が、コロナ禍で仕事が少なくなり、ウーバーイーツも始めます。サクマは家を飛び出して自衛隊に入ったあと、そこを辞めて職を転々として、メッセンジャーの仕事を始めました。メッセンジャーは業務委託なので雇用は不安定ですが、サクマは働いている営業所から正規雇用を誘われても、正規雇用の仕事の多忙さから二の足を踏みます。そんな状況に焦りを覚えるサクマに、事故的な暴発が起こります。
『ブラックボックス』は、雇用の不安定化や、いわゆるギグ・エコノミーの負の側面に置かれる若者を描いています。また、タイトルの「ブラックボックス」とは、メッセンジャーとして会社から会社に荷物を運びながらも、その会社の実質はなにもわからない状況を表現したものです。アウトソーシング化が進む社会の実相を現した比喩と言えます。
石田夏穂さんの『我が友、スミス』。
運動不足の解消のためにジムに入会した女性が、ボディビルの世界にハマっていき、大会での入賞を目指す話です。
筋トレといえば、最近とみにホットなトピックです。昨今の情勢から自宅で筋トレをはじめた人も少なくないでしょう。また、「自己肯定感」といったキーワードもこの小説には関わっているように思えます。タイトルの「スミス」とは「スミス・マシン」という筋トレ用の器具のことです。石田さんは今作がデビュー作です。
乗代雄介さんの『皆のあらばしり』。
歴史研究部に所属する高校生の浮田は研究のために訪れた城址で、ある男と出会います。浮田は地理と歴史に詳しいこの謎の男と、江戸の文人・小津久足が書いたという「皆のあらばしり」という書物をいっしょに探ることになり、ふたりは素数の木曜日に城址で会います。
筆者がこの作品を読んで思い出したのは松本清張の『或る「小倉日記」伝』です。松本清張といえばミステリー作家のイメージが強いですが、実は『或る「小倉日記」伝』という作品で芥川賞を受賞しています。この作品は森鴎外の失われた「小倉日記」を探ろうと現地で聞き込みなどをする話です。『皆のあらばしり』でも、ある種、ミステリー仕立ての仕掛けが施されています。
九段理江さんの『Schoolgirl』。
読書家の母親と、社会派YouTuberの娘。娘は環境問題に関心があり、その考えをYouTubeで発信しています。母親は心療内科に通いながら娘のYouTubeチャンネルを聴きます。
作中では太宰治の『女生徒』が引用されます。『女生徒』は太宰が女性の日記をもとにして書いた短編で、ある女生徒の1日が清新な口語で書かれています。
太宰といえば、芥川賞の第1回で落選し、選考委員だった川端康成と緊張感のあるやりとりがあった逸話があります。拙著『タイム・スリップ芥川賞』でも、芥川賞の歴史を語る上で欠かせない出来事として紹介しました。
余談ですが、太宰の孫にあたる石原燃さんの『赤い砂を蹴る』も2020年上半期の芥川賞の候補になっています。石原さんの『赤い砂を蹴る』は、母を亡くした女性が、母の友人といっしょにブラジルを旅します。母の友人はブラジル移民の日系二世なのです。太宰が受賞を逃した第1回の受賞作がブラジル移民を描いた『蒼氓』なのは、興味深い偶然です。芥川賞には長い歴史があるので、このような場外のドラマも起こります。
話がだいぶ逸れましたが、『Schoolgirl』というタイトルは、太宰の『女生徒』を英訳したものだと思われます。