「赤裸々に書く」ということ

pha:本って、誰か一人がすすめてても「へー、そんな本があるんだ」って思うくらいなんだけど、もうひとり別の人も同じ本をすすめてると、「おっ、読もうかな」って、僕はなったりします。

佐々木:自分にとってブックガイド的な人は、何人かいますか?

pha:そうですね。趣味が近い人で、「この人が面白いって言ってたら、面白いだろう」という人は何人かいますね。主にツイッターで見ることが多いかも。

佐々木:そういう意味で、ツイッターはいいですよね。僕はツイッターは検索でしか見ないから。

pha:佐々木さん、ツイッターで誰もフォローしてないですよね。

佐々木:はい。ただ、phaさんのタイムラインはたまに見ますよ。よく無料で見れるウェブ漫画とかを紹介しているじゃないですか。そういうのは全部チェックしています。僕的にphaさんは信頼できるブックガイドをされる方なんですよね。

pha:誰かが紹介したのを読んで、それが面白かったらまた自分で紹介したりもするし、紹介のネットワークがつながっていく感じはありますね。

 僕は何かを書くとき、自分の完全なオリジナルなものはなくて、今まで読んだものをアレンジとか引用してる、という意識が結構強いんですよね。だから本を出すとき、参考図書を巻末にまとめたりすることも多いです。

 今回の本は、そういう「自分を形作ってくれた本」の紹介だけで一冊にした、という感じです。

佐々木:「自分に影響を与えたものの総まとめ」ですよね。自分を構成する、棚卸しのような作業をし終わったときに、どういう気分になるのか興味があります。

pha:今は、もう書くことないかもみたいな気持ちになっていますね。自分の中の、根本的な部分はすべて書いてしまった感じがする……。

佐々木:本当にphaさんは赤裸々にすべて書かれるじゃないですか。この間の『夜のこと』にしてもそうで、ご自分の性愛のことについても全部書かれていますし、今回は自分に影響を与えたものも全部出されています。結構な「全裸主義」というか、「赤裸々主義」というか、すごいなと思っています。

pha:やっぱりそれが一番面白いと思っているからですね。この本でも、植本一子さんの『かなわない』や小谷野敦さんの『私小説のすすめ』など、自分をさらけ出している本の面白さを紹介しています。

「人間の本質」が見たい

佐々木:赤裸々なスタイルは、そういう人たちの影響を受けていると思いますか?

pha:そうですね。書き手が自分自身のことをそのまま出した本が好きですね。その代わり、小説はあまり読まないから、本の中ではほとんど選んでないんですよね。佐々木さんは、小説は読みますか?

佐々木:小説も読みますが、僕もそんなにたくさん読まないですね。ノンフィクションとか学術的なものとか、そういうのが多いですね。

pha:僕は「人間の本質」みたいなものを見たいという思いがあるんですよね。そうすると、小説はちょっと複雑すぎて、余計な部分が多いと感じてしまうところがあるのかも。だから「人間にはこういう性質がある」というのを分析している学術書のほうが好きかもしれない。物語が苦手だというのもあります。

 でも、「これはある種の人間の本質をシンプルについている」と思う小説もときどきあって、そういう本は紹介しています。アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』とか。

佐々木:僕はphaさんが言語化してくれたことで納得して受け入れられたことが何個かあるんです。たとえば、「近くのビジネスホテルにただ泊まるだけでも別にいいんだ」ということを書かれていたじゃないですか。

「ホモサピエンスだからしかたない。」<br />自己責任を弱める読書のすすめ佐々木典士(ささき・ふみお)
作家/編集者
1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集編集者を経てフリーに。2014年クリエイティブディレクターの沼畑直樹とともに『Minimal&ism』を開設。初の著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス)は25ヵ国語に翻訳され60万部以上のベストセラーに。『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス)は12ヵ国語へ翻訳。両書とも、増補した文庫版がちくま文庫より発売。

 僕も二週間に一回くらいは寝る場所を変えないと、体調がおかしくなる感覚があるんです。それをphaさんが言語化して普遍化してくれて、安心して近所のビジネスホテルに泊まったりするようになりました。

 あとは『夜のこと』で、なんでもないときに、別にそんなに好きだったわけでもない女の子の名前が出てくる、ということを書かれていますよね。それも、すごくわかる! と思ったんです。

 ただ、正直気持ち悪いじゃないですか。だから、自分でも認めたくないし、なかなか書けない。でもphaさんが書いてくれたことで自分と合わせてサンプルが「2つ」になった。

 2つあるということは、世の中には100万でも200万でもある可能性があるはずと思って「これで普遍化が完了した」みたいな。だから今は特異的な個人のエピソードだけども、今後は普遍性につながる可能性を示すのが小説なんだろうなと、それも面白いなと思ったんですよね。

pha:確かに、それをすくい上げるのも小説かも。

佐々木:短歌もそうですよね。誰かがこの風景おかしいとか、変だな、面白いとか思うことがあって、それは他の人も言語化していたわけではないけど、言われたらそうそう、と思ったりする。

pha:そうですね。普遍性があるからみんなの心に響くわけで、それを日常の中から切り取って出すのが短歌ですね。

佐々木:僕も自分のエピソードから本を書くことがあるんですけど、その中に普遍性が含まれているというよりは、書き出しのレトリックとして書いているような感じです。

pha:サンプルとしてですか?

佐々木:はい。普遍性の中の一つのサンプルとしてただ提示しているという感覚があります。phaさんの場合は、普遍性になる一歩手前で、自分の体験が一番最先端の事例として出ている感じがして、そういうのがいつも羨ましくて素敵だなと思うんですよね。

pha:そこはちょっと佐々木さんと僕で違うかもしれませんね。僕は、やっぱり自分のエピソードに愛着があるのかな。一つのサンプルではなく、もっと自分の話をしたいという思いがあるのかもしれない。

「違和感」を言葉にするのが短歌

佐々木:あとphaさんのベースには「短歌」があるんじゃないかなと思ったんですけど、そのへんはどうですか?

pha:「ものを見る視点」とかですかね?

佐々木:そうですね。短歌って、何でもないときに心がちょっとざわついて、「これは何だろう?」みたいな違和感を文章にするのかなと思うんです。

pha:たしかに、そういう感じかも。短歌というジャンルは、ちょっとした違和感をすくい上げるのに適しているんですよね。

 あと、短歌って、「世界に違和感を感じる」とか「社会にうまく適応できない」とか、そういうことを言うのが定番になっているところがあるんですよね。質素な暮らしを見つめる感じは短歌になりやすいけど、社会の中でイケイケな暮らしを詠んでる短歌はあまりない。

佐々木:「ランボルギーニを買いにけり」とかは短歌にならないわけですね。

pha:「夜中の公園でブランコに乗る」とか、「コンビニはいつも明るい」とか、そういう貧乏くさい感じは短歌になりやすい。エッセイとか書くときも、そういうスタンスから影響を受けているかもしれないですね。

佐々木:そういう「心のざわめき」みたいなものが、短歌やツイッターのような短い文章としてあって、その出来事が起きた日常をもう少し詳しく書いたら「日記」になるし、さらに長くしたら「エッセイ」になって、もっと長くしたら「小説」になるのかなと思ったんですよね。

pha:そうですね。「短歌」はちょっとした気付きだけでいいけど、「エッセイ」はその気付きにもうちょっといろいろなことを付け足したりする必要がある。あんまり長い文章を書くのは僕は苦手ですね。

佐々木:長くなると、構成や起承転結などが必要ですもんね。

pha:小説って、パッと答えを言ってしまったらすぐ終わっちゃいますからね。何か言いたいことがあったとしてもすぐに言わないで、ぐるぐると回り道をしながら、少しずつほのめかしていくようなのが小説なんじゃないかと思っています。でも、僕はパッと本質を言ってしまいたいほうだから、小説がよくわからないのかも。読んだら面白いとは思うんですけどね。

佐々木:なるほど。今後は小説を書く予定はありますか?

pha:今のところはないですね。『夜のこと』は、小説ぽいものを書いてみようと思って書いたんだけど、やっぱりちょっと小説ぽくないものになったような気がしています。あれは、エッセイという形式でそのまま自分を出すとちょっと生々しすぎる感じがしたので、ああいう形で書いたんですよね。だから、もしまた生々しすぎて書きにくいできごとがあったら書いたりするのかも。

佐々木:エッセイにするにはちょっと生々しいできごとも、小説にすると距離感ができて書けるし、読む方も安心して読めるということですね。

pha:佐々木さんがブログに『夜のこと』の感想を書いてくれたのはうれしかったです。よかったら検索して読んでみてください。