約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓した、pha(ファ)氏。本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介した。
その刊行を記念して、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』『ぼくたちは習慣で、できている。』などの著書を持つ作家/編集者の佐々木典士氏との対談を行った。読書家である2人による、「もっと本が好きになる」ための読書談話をお送りする。

→前回「『ホモサピエンスだからしかたない。』自己責任を弱める読書のすすめ」の続きです。

「人間は片づけができるようには作られていない。」気持ちをラクにしてくれる読書のすすめpha氏(左)、佐々木典士氏(右)

「同じこと」は、やりたくない

pha:僕は本を書くといつも毎回、抜け殻のようになって、「もう書くことないな」と思っちゃうんですよね。いつもは数ヵ月したらまた書く気力が戻ってくるんだけど、今回は本当にもう出し尽くした感じがします。これから何をやっていこう……。佐々木さんは本を書くのは飽きませんか?

佐々木典士(以下、佐々木):書く本の内容自体はいつも、いろいろなものを調べたりして新鮮なんですが、原稿を書いて、入稿して、表紙ができて、それが世に出て、イベントをして……、みたいなプロセスはいつも一緒なんですよね。

 あと、一冊目の本が海外で翻訳されたり、いろいろな国のイベントに呼んでもらったりして。本の世界ではそれ以上の名誉ってほとんどないなと思ったりはします。あとは賞を獲るとかですけど、それもたかが知れているかもしれないと思ったりはします。

pha:めっちゃ売れましたもんね。それはいきなりやり遂げてしまったところがありますね。

佐々木:ただ、書き終わってしばらくすると、空っぽになってしまったと思いつつも時間が経つと興味が湧いてきたりするものがあったりします。自分にとって切実な問題が今後も出てくるといいなと思いますけどね。

pha:わかります。切実な問題がなくても仕事として書ける人もいるけど、僕は書けないんですよね。佐々木さんもそういうタイプぽいですよね。

佐々木:僕はミニマリストの人として世に出たわけです。ミニマリストの本が最初に出て、ミニマリストのことだけをやっていれば、きっと人生は安泰だったと思うんですよ。内容が四分の三ぐらいの同じ本を次々と出して、YouTubeもやって、ミニマリスト協会を立ち上げて、資格ビジネスとかを始めれば、すごくお金が稼げたと思います。

pha:そういう道もあったでしょうね(笑)。

佐々木:でも、同じことを続けることにはどうしても興味が湧かなかった。たぶんそれはphaさんも同じことですよね。

pha:僕もそうですね。僕も最初は「シェアハウスに住んでるニート」みたいな感じで注目されたので、そのへんのことをずっとやっていったほうがわりがよかったんだと思います。でも、同じことをやっているとすぐ飽きちゃうし、興味がないことはやりたくないんですよね。

 今はシェアハウスもやめたし、ニートでもないし、ただの普通の一人暮らしをしている自営業の人になってしまったけど、でも、それでいいと思ってます。

フリーランスの「ジレンマ」

佐々木:以前、phaさんが紹介していた竹熊健太郎さんの『フリーランス、40歳の壁』という本がありました。そこには、フリーランスは「同じことを繰り返してやらないとダメだ」ということが書かれています。二番煎じをやる必要性ですよね。

pha:あの本はまさにそうでしたね。竹熊さんは『サルまん』がヒットしたあと、同じような仕事が殺到したんだけど、そういうのに飽きてしまって断るようになって、そうしたら仕事が減ってダメになってしまった、という反省を語っている本ですよね。でも、僕はその気持ちが痛いほどわかるんですよね。そういうの絶対に飽きるし自分にもできない……。

佐々木:それを読んで身につまされたphaさんが書いた本を僕が読んで、僕もまた身につまされるという……。

pha:そういう自分の二番煎じをちゃんとこなせる人だったら、最初から会社員とかやってるよ、とか思っちゃうんですよね。

佐々木:結構、同じことをやり続けている人っていますよね。よくこんなに前作と同じ内容の本を出せるなぁと思ったりします(笑)。

pha:いますね……。僕は自分の中に新鮮さとかワクワクするものがないと書けないけど、そうでなくて、仕事として割り切って書ける人もいるんでしょうね。それはそれで偉いと思います。ちゃんと仕事をしている。

佐々木:あまり欲望がないというか、たとえば、お金をガーッと稼ぐとか、バトルタイプでもないですしね。

pha:僕も将来、竹熊さんみたいに生活がやばくなるのかもしれないですけどね。でも、それならそれでしかたない、と思っています。やろうとしてもできないんだし、後悔はしないと思う。

 今のところは、そんな感じでもなんとか生活ができてるんですが、それも不思議な感じです。将来のこととかあまり考えてないし、こんなのがいつまで続くんだろう、と思います。

 本当に生活に困ったら二番煎じを書くかも。なんでもいいからお金を稼がないとヤバい、ってなったら。

佐々木:お金がどんどん減っていくことで意志力が増すことはありますからね。有名な漫画家さんだと、描かなくなる人もいますよね。

pha:まあ、本当に困ってから考えればいいかな、と思ってますね。

佐々木:本当はそれがいいですよね。未来のことなんて考えても仕方ないですし。日本にいると、つい未来のことや将来に向けて計画を立てるという時間感覚で過ごしてしまいますけど。

pha:そうですね。あんまり先のことを考えてもしかたない。

「将来のこと」を考えない狩猟採集民族

佐々木:その時間感覚も、文化人類学の本を読むと、世界で共通していないことが描かれています。その文脈で一つ紹介したいのが、奥野克巳さんの『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本です。

 これはボルネオのプナンという部族の話なんですけど、この人たちがすごいのは、自分たちの誕生日を知らないんですよ。小さい部族だから、平均寿命とかも知らないわけですよね。

pha:自分の年齢もわからないんですね。

佐々木:そうです。だから、自分がだいたいいつぐらいに死ぬかもわからない。狩猟採集民族なので、将来のことを考えても仕方ない。それって、本当に幸せな時間の感覚だと思うんですよね。

pha:幸せそうなんですよね。僕の本では、ダニエル・L. エヴェレットの『ピダハン』という本を紹介したんですけど、それも似たような感じで、アマゾンの狩猟採集民の話なんですよね。同じように、未来のこととかあまり考えない。現在だけで充実している。人間が長いスパンの時間のことを考えるようになったのは、農耕を始めてから、という話があるんですよね。

佐々木:そうですよね。狩猟採集民は、お肉をたくさん取ってきても、結局、腐っちゃうから、とりあえず一週間とか、そのくらいの食料が賄えれば、もう充分に満たされて幸せなんですよね。

pha:「もっと積み重ねなければいけない」という思考自体が、農耕以後にでてきた、一つのあり方に過ぎないし、絶対に人間ならみんなそう考えるというものではない、という。

佐々木:僕たちの時間感覚で言うと、phaさんと僕は同年代だから、平均寿命からすると、人生の半分が過ぎたとわかります。「今までの人生×2」で人生が終わると考えると、人生の持ち時間そのものもなんとなく想像できてしまう。そうするといつまでににあれこれをして、老後が年金がこれぐらいで……、と、みんなすごく考えるじゃないですか。それって、あまりよくないと思うんですよね。

pha:30年後がどうなるとかいうのは全然考えられないですね……。狩猟採集民に共感してしまう。

佐々木:僕もフィリピンに住んでいて、そういう感覚がわかるというか。フィリピンでは、大学を出てもいい就職がなかったりするんですよ。コロナ渦でも一瞬失業率が45%とかになって。

pha:すごい……!

人間は「片づけができる」ようには
作られていない

佐々木:日本人から見ると、「みんなどうやって生きてるの?」と思いますけど、別にみんな助け合ったり、暖かい気候で食べ物はあったりから暮らしていけるんですよね。社会の中にいろいろな会社があって潤沢に仕事があって、そこに入社して何十年も勤めるとか、そういう前提がないと、将来の設計みたいな発想はそもそも出てこないんですよね。

 プナンの子どもたちに、「将来の夢は何?」って聞いたら、「はあ?」って返ってくるらしいんですよ。意味がわからないらしくて。そもそも「職業」という意味がわからない。

pha:森の民だったら森で暮らすだけなんですね。

佐々木:プナンの人は所有の感覚も薄いから、誰かのものでも勝手に使っていくんですね。

pha:狩猟採集民って、そんな感じらしいですね。それが、農業を始めることで、所有が生まれ、富の蓄積や格差が生まれていって、今の社会が出来上がったという話が、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』などで書かれていますね。

佐々木:農業革命は、要するにサラリーマン生活みたいなもので、「これをやったら生活が安定するらしいよ」となったら、人はそっちに流れていきますよね。

pha:そうなんですよね。でも、ホモサピエンスは長い年月を狩猟採集の中で過ごしてきたから、脳や身体にはそういうところがまだ残っていて、そのミスマッチによって生きづらさが生まれてくる、という。

佐々木:自分はホモサピエンスであって、一昔前の狩猟採集民に適した脳のしくみや体の機能を持っている……、ということを意識できると、今の生活でできないことがあったときに楽ですよね。

 國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』という本でも述べられていますが、基本的に狩猟採集民は移動するから、その度にトイレも変えるし、荷物もそもそも溜め込めない。「元々、人間は片づけやトイレを同じ場所ですることは難しいものなんだよ」という話が書いてあります。

 だから片づけなんてできなくても、ミニマリストになれる人はなってもいいですし、なれない人は「狩猟採集民だから無理だよ」って思えばいいんです。

pha:人間の体も精神も、狩猟採集民のままのところがあるから仕方ない、と思うと、気が楽になるのでいいですね。