牧歌的発展からコントロールされた
ウェブへと変化したWeb2.0

 Web1.0からWeb2.0へ至るまでの道のりでは、ウェブはある意味、牧歌的な発展を遂げてきました。

 ウェブやインターネットは、元は学術的な目的で使われていた、ひと言で言えば「研究者のオモチャ」のようなものです。同時期にはIBMやDECといったIT大手企業も、独占的で高機密に設計された情報通信の手段を開発していました。

 ウェブは、これら大手企業のシステムに対抗するようなかたちで草の根的に立ち上がり、広がりました。そこでは、異なる研究機関が違う技術を使ってつくったシステム同士でも、「コミュニケーションを成立させるためにはつながらなければならない」という目的で、相互運用性が最大限に考慮されました。こうして、「シンプルでもしっかりとつながる仕組み」として、牧歌的に誕生したのがインターネットやウェブだったのです。

 こうした生い立ちからインターネットやウェブには、「誰かが所有やコントロールするものではない」という性質があります。それこそが、その発展の源泉であり、原動力だったのです。私が所属していた頃のグーグルのエンジニアたちも、会社の利益のためというよりは、インターネットやその上のサービスの健全な成長や進化のためにはこうあるべきと考えたことを標準化団体に提案しています。

 たとえば、「ウェブはパソコンからだけでなく、スマートフォンのような携帯端末からも見られるようになるべきで、そのためには見る画面の大きさに合わせて表示を最適化するレスポンシブルデザインを採用すべきだ」といった考えも、グーグルが強く支持しました。また、表示スピードの向上、セキュリティを高めた「HTTPS」の推奨なども行われました。提案は標準化の議論を経て、標準化され、皆さんが利用できる規格として実現されています。

 グーグルの強みは、伝家の宝刀である検索エンジンのアルゴリズムに、これらの条件を反映させることができる点です。レスポンシブルデザインを採用したサイト、表示スピードの速いサイト、セキュリティのしっかりしたサイトでなければ、検索の表示ランクが下がる可能性があるとなれば、誰にもコントロールされていないはずのウェブの世界でも、誰もがその規格に合わせようとするわけです。

 こうしたグーグルの動きも、グーグルが「これは利用者にとっても良いことなのだ」と証明し続けられていたなら、それほど大きな反対は起こらなかったでしょう。

 ところが、グーグルの影響力があまりにも大きくなってしまったために、「何が正しいかが曖昧な時でもグーグルが提案したものが標準化される」、あるいは「標準化団体で議論が紛糾したことでも検索エンジンには反映される」といったことが起こるようになると、果たしてウェブは本当に「誰にもコントロールされていないもの」であり続けられるのかが疑問視されるようになります。

 たとえグーグルのエンジニアがユーザーのためを思ってしたことであっても、「グーグルが実装した仕組みには、大勢が倣わなければならない」ということが、実際に起きてしまっているからです。