ウクライナへの侵攻を続けるロシアに対し、各国から経済制裁の圧力が高まっている。外資企業の撤退が相次ぎ、金融資産の凍結や決済網からの締め出しも開始。事態の収束に寄与するのを願うばかりだ。……それはもちろんそうなのですけど、「制裁を受けた側」の一般国民の生活ってどうなるんでしょうか? デビュー作『0メートルの旅』で古市憲寿氏・田村淳氏・中瀬ゆかり氏などから大絶賛を受けた岡田悠さんが、「史上最強の経済制裁」を受けた国で見たものを紹介します。(構成:編集部/今野良介)

経済制裁の「先輩国」へ行った時のこと

こと経済制裁という点においては、ロシアの「先輩」がいる。

中東の大国、イランだ。

1979年に革命政権が樹立して以来、イランは世界中から経済制裁を受けてきた。特にアメリカからはテロ支援国家に指定され、2018年8月にはトランプ政権自らが「史上最強」と称した厳しい経済制裁が始まった。

僕は2018年10月、その最強の経済制裁が始まった2ヶ月後にイランを訪れた。

と、言っても研究や取材ではなく、ただの旅行である。だがそこには経済制裁下だからこそ見える、人々の独特な日常があった。

2022年のロシアとは背景も事情も異なることを承知の上で、イランでの経験について記してみたい。

そもそも行くハードル高い

まずイランに行くために、犠牲にしなければいけないものがあった。

「アメリカへ簡単に行く権利」だ。

通常日本からアメリカに行く場合、90日未満であればWeb上でESTA(電子渡航認証システム)に申請すればビザが免除される。しかしイランへの渡航歴がある場合は、テロリスト渡航防止法の対象となり、ESTAが申請できない。だから「連休にちょっとハワイへ」という場合もアメリカ大使館に行き、面接を受けてビザを取得する必要があるのだ。実に面倒である。

現地の宿を予約するのも困難だ。Hotels.comやBooking.comなどの予約サイトには、イランの宿が掲載されていなかった。欧米のサイトが軒並み在イランの宿による利用を規制しているためだ。古いガイドブックを頼りに直接メールで問い合わせたが、事前にクレカ払いもできず、果たして部屋がとれているのか、不安を抱えたままイランへと降り立った。

ちなみに1件だけPayPal経由のドル払いを受け入れてくれた親切なホテルがあって、しかしPayPal上の請求書タイトルが何故か「Webサイト制作費」になっていた。

詐欺かと思ったら、「イランからの請求だとバレると決済できないから偽の請求を出した。お前もイランに関するキーワードは何も書くな」とのことだった。

「史上最強の経済制裁」を受けた国に行ったらすごかった「イランからの請求だとバレると決済できないから偽の請求を出した。お前もイランに関するキーワードは何も書くな」

大量の札束を抱えて歩いた

空港に到着したら、両替を行う必要がある。

イランではVISAやMasterCardなど、あらゆる国際的なクレジットカードを使えないから、旅行者は現金を持ち運ぶしかない。

イランの現地通貨は「イランリアル」。日本からドルを持ち込み、イランでドルをリアルに両替する。

両替所の情報も少ないので、空港で多めに800ドルを換金することにした。職員は時間をかけてドル紙幣をチェックすると、窓口から広辞苑くらいの厚みの札束を放り投げてきた。

領収書に記載された金額は「920万リアル」。事前に調べていた相場より悪いが、空港の両替所ではよくあることだ。リュックに札束を詰め込み、テヘランの街へと繰り出した。

しかし実はこのとき、僕は札束の金額を勘違いしていた。

それに気づいたのは数日後のこと。使っても使っても現金が減らないから、不思議に思って数え直してみたら、どうも計算が合わないのだ。

両替所で受け取った領収書を改めてよく眺めてみると、金額の一桁目が掠れていたせいで、うっかり読み飛ばしていたことがわかった。

実際に記入されていたのは「7,920万リアル」。なんと「相場」の実に5倍の金額だった。

滞在中にも暴落し続ける通貨レート

7,920万リアル。急に金持ちになった気分だ。

最強の経済制裁により、現地通貨が暴落していることは知っていた。だがこれほどまでとは思っていなかった。

この勘違いの原因は、暴落の速度があまりに速すぎることにあった。急激な暴落の結果、建前である「公定レート」と、実際に市場でやりとりされている「実勢レート」の間に大きな乖離が発生していたのだ。

ネット上で手に入る情報は全て公定レートベースで計算されており、現地の両替レートとは異なっている。結果、ネット上のレートを信じていた僕は、受け取った札束の金額さえ勘違いしていたのだ。

しかし実勢レートを把握していなかったのは僕だけではない。滞在中にも暴落は続いていて、どうやら誰も彼も自国通貨にどれくらいの価値があるのか、よくわかっていないようだった。銀行に行くたびに電光掲示板の表示は変動しているし、街中の闇両替商たちも人によって提示するレートが全然違う。

だから人々は、安心できるドルを求めていた。どの店に行ってもドルでの支払いを提案された。しかしこちらとしては、現地通貨の札束を減らしたい。物価が通貨の暴落に追いついていないのか、何を買っても安すぎて到底使い切れそうもないが、少しでも減らしたい。

ドルを受け取りたい店とリアルを支払いたい僕の間で、見えないレートをめぐる交渉が毎日繰り広げられた。

そういえば、入国前に唯一Paypalでの支払いを受け入れてくれた例の宿。リスクを犯してまでやりとりをしてくれたのは、あとで考えればドルが欲しかったからかもしれない。

マクドナルドのない大都会

さて、イランにはスターバックスもマクドナルドも存在しない。それどころか、あらゆるグローバルチェーン店が見当たらない。

経済制裁により、外資企業が軒並み撤退してしまったためだ。飛行機の機体の修理部品さえ調達できずに、つぎはぎの機体が空を飛んでいたこともあったと聞く。

だがそれでも街は大いに賑わっていた。

スタバの代わりに伝統的なチャイハネ(喫茶店)では老人たちがタバコを吹かしながら談笑し、ショッピングモールには洒落たコーヒーショップが並ぶ。首都テヘランは都市圏人口1367万人を抱える世界有数の大都市だが、商店街には地元のスモールビジネスがひしめいていた。スーパーは棚から溢れんばかりの食べ物が陳列され、雑貨屋や洋服屋は若者でごった返していた。

巨大な国内需要を有するイラン経済の地力を感じざるをえなかった。

僕が訪れたのは最強の制裁が始まってまだ2ヶ月の頃だったから、その後にもっと深刻な事態に陥ったのかもしれない。

経済制裁というのは、じわじわと遅効性の毒のように効いてくるものだとも聞く。現に物価がどんどん上がって大変だと、ため息をつく店主を何人も見かけたから、実際の生活はもっと苦しい可能性もある。

ただ2018年10月時点では、「活気」という印象が強く残った。世界中がフラットに接続していく社会で、孤立しながら活気を保つイランの姿は、とても独特に思えた。

経済制裁下にある日常

そしてイランで最も驚いたのは、人々の親切さだ。

路上を歩いていると、旅行客が珍しいせいか誰もが手を振ってくる。人懐っこい笑顔で、どこから来たのか、この国はどうかと質問攻めに遭い、最後には楽しんでねと見送られる。擦れた旅行客としては、話しかけられると「押し売りか?」と警戒してしまうのだが、イランではそのようなことは一度もなく、自分の浅はかさを反省することになった。

電車の乗り換えに迷っていたところ、スーツ姿の男性が一緒に何駅も乗り継いで案内してくれた。
強引さで有名な土産物屋さえ、おすすめなのだと、逆にアイスを奢ってくれた。
バイクの荷台に乗っていた女の子がひょいと飛び降り、駆け寄ってきてお菓子をくれたこともあった。

お昼を作ってあげる、と言って譲らない女性の家にお邪魔した時のことだ。

豪勢な手料理のフルコースを頬張っていると、彼女の娘たちが現れ、おもむろにPCで音楽をかけ始めた。聞いたことのあるメロディだと思ったら、『マルーン5』だ。イランでは米国文化への接触が制限されているはずだが、若者たちは当たり前のようにVPNに接続して、音楽や映画を違法ダウンロードし、歌い踊っているようだった。

僕はナンを頬張りながら、毎日どう?と、曖昧な質問をその娘たちに投げかけてみた。すると彼女たちはケラケラと笑いながら答えた。

「大変。でも、楽しいよ」

旅行は所詮旅行だ。現地の生活のほんの一部にしか触れられない。それでも、「経済制裁下の市井の人々にも日常がある」という当たり前のことを実感した旅であった。

一刻も早くウクライナに平和な日々が戻りますように。