手掛けるワインがつねに世界で高い評価を受け続けているワイン醸造家で中央葡萄酒取締役の三澤彩奈さんと、同社のワインのラベルを長年デザインしている世界的なグラフィックデザイナーの原研哉さん。昨秋発売した新製品を含めて、原さんがいつもどのようにデザインを具現化していくのか、背景にある同社の歴史や彩奈さんのポリシーなども含めて、お二人の対談から浮かび上がってきます。

――2021年11月27日に中央葡萄酒は、地元・山梨県古来のブドウ「甲州」の新たな魅力を引き出した新製品「三澤甲州2020」を発売しました。これは、世界的に権威のある品評会「デキャンタ ワールドワインアワード(DWWA)」で金賞を連続受賞もした「キュヴェ三澤 明野甲州」の後継品に当たる製品で、人気の銘柄をあえて新製品に切り替えるという思い切った決断でしたが、反響はいかがでしたか。

グラフィックデザイナー・原研哉さん×ワイン醸造家・三澤彩奈さん対談「お酒のロマンチックなところが好き」という原さんがラベルのデザインで心に留めていることとは?三澤甲州2020のボトル

三澤彩奈(以下、三澤) 発売から1週間ほどのかなり早い段階でワインが売り切れてしまいましたので、それなりのご評価をいただけたのかなとホッとしています。味わいがこれまでの「キュヴェ三澤 明野甲州」とかなり違うので、どのような評価をいただけるか心配もありましたが、前向きに捉えていただけたと考えています。

グラフィックデザイナー・原研哉さん×ワイン醸造家・三澤彩奈さん対談「お酒のロマンチックなところが好き」という原さんがラベルのデザインで心に留めていることとは?従来のキュヴェ三澤明野甲州

海外の反応については、実は昨年12月にイギリスの三ツ星レストラン「The Fat Duck」や、ソムリエの最上位クラスに当たるマスターソムリエを認定する「The Court of Master Sommeliers」のCEOでもあるロナン・セイバン氏とマスタークラスを行う予定だったのですが、コロナ禍で延期となり今年1月末に開催されました。甲州の持つ繊細な美しさだけではなく、底力もご理解いただけたのではないかと思います。

――原さんは中央葡萄酒のワインのラベルを長年手掛けてこられていますが、今回のラベル変更に向けては、どのようなお話があったのでしょうか。

グラフィックデザイナー・原研哉さん×ワイン醸造家・三澤彩奈さん対談「お酒のロマンチックなところが好き」という原さんがラベルのデザインで心に留めていることとは?原 研哉(はら・けんや)
デザイナー。日本デザインセンター代表取締役社長。武蔵野美術大学教授。
世界各地を巡回し、広く影響を与えた「RE-DESIGN:日常の21世紀」展をはじめ、「HAPTIC」「SENSEWARE」「Ex-formation」など既存の価値観を更新するキーワードを擁する展覧会や教育活動を展開。また、長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、愛知万博のプロモーションでは、深く日本文化に根ざしたデザインを実践した。2002年より無印良品のアートディレクター。松屋銀座、森ビル、蔦屋書店、GINZA SIX、MIKIMOTO、ヤマト運輸など、活動領域は極めて広い。「JAPAN HOUSE」では総合プロデューサーを務め、日本への興味を喚起する仕事に注力している。2019年7月にウェブサイト「低空飛行」を立ち上げ、個人の視点から、高解像度な日本紹介を始め、観光分野に新たなアプローチを試みている。著書『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)、『DESIGNING DESIGN』(Lars Müller Publishers, 2007)、『白』(中央公論新社、2008年)、『日本のデザイン』(岩波新書、2011年)、『白百』(中央公論新社、2018年)など著書多数。1958年生まれ。

原研哉(以下、原) 彩奈さんも、(その父であり、中央葡萄酒の)三澤社長もいつも非常に熱心で、今回も、甲州がもつリンゴ酸を機に自然に起こったマロラクティック発酵(注:ブドウの糖を酵母が分解してアルコールに代謝するアルコール発酵の後に起こる乳酸菌による発酵。乳酸菌の発酵によって代謝物が出ることで、キャラメルのような甘やかな香りが出たり、複雑な味わいを醸したりする)の……、フランスなどで行われている土着酵母を使った発酵で……といろいろ伺ったのですが、私は素人だから正直なところ完全にはわからないですよね(笑)。非常に大変なことが成し遂げられて素晴らしいなと思うばかりで。だから、三澤さんたちの世界を想像しながら、ラベルを作らせてもらいました。

ラベルのデザインの基本はあまり変わっていません。従前から、地紋にエッチング特有のモヤモヤとしたブレードマークを入れていて、この微妙なテクスチャーはワインが発酵するイメージと近いなと思っています。なおかつ日本のワインなので日本語で縦組みに表記し、とはいえ国際的な製品なのでアルファベットは横組みにして、アルファベットだけでも十分伝わるようにしています。その基本は今回も変わっていません。

――パッと見た印象はかなり違うなとも感じました。

 「キュヴェ三澤」という文字はエッチングで彫ったのですが、活字をそのまま組版として使う場合もあります。シャルドネやカベルネ・ソーヴィニヨンなどブドウ品種だけを表記したものは毎日新聞明朝という活字を組んでいます。「甲州」だけは「隷書」という古い書体の書を使ってそれがアイコンになっていたのですが、彩奈さんから「今回の新製品は特別なワインになったので、従来の甲州やキュヴェ三澤とは違う顔立ちにしたい」と言われて、すこし方向性を変えました。

機軸は変わらないけれど、英文の組版もセンターぞろえにしてよりオーセンティックな雰囲気を出したり、「三澤甲州」という文字については中国の王義之の書から見本を作って書家に注文を出したりしました。全体的に、うまくハマったと思っていて、従来の雄々しいイメージに対して、今回はエレガントさが醸し出されたかなと。作り手の人たちにイメージ通りと思っていただけたら何よりです。

――彩奈さんとしては、以前のキュヴェ三澤とは違う顔立ちにしたい、というこだわりをお持ちだったんですね。

グラフィックデザイナー・原研哉さん×ワイン醸造家・三澤彩奈さん対談「お酒のロマンチックなところが好き」という原さんがラベルのデザインで心に留めていることとは?三澤彩奈(みさわ・あやな)
中央葡萄酒株式会社 取締役栽培醸造責任者
マレーシアのワインイベントを手伝った際、自社ワインを愛飲してくれていた外国人夫婦に感激し、ワイン造りの道へ。ボルドー大学卒業後は家業に戻り、シーズンオフには南アフリカ・オーストラリア・チリ等へ武者修行に出て新たな知見を吸収、ブドウ栽培や醸造を父・茂計とともに見直してきた。スパークリングワインやロゼワインなど新たな仕込みにも挑戦し、DWWAでは2014年以来、5年連続金賞を受賞するなか、2016年は欧州勢が上位を占めるスパークリング部門でも最高賞を受賞した。

三澤 日本一のデザイナーに対して私のようなものがあれこれ言うのは恐れ多くて憚られたのですが、現行のラベルがあがってくる前のバージョンは「キュヴェ三澤 明野甲州」のラベルと非常に似たところがあって、味わいの変化に対してラベルの変化が小さいかなと感じました。

そこから修正いただいた「三澤甲州2020」のラベルは、原さんも仰っていたとおり、以前の「キュヴェ三澤 明野甲州」の力強さと比べて、オーセンティックさと同時に繊細さも感じられて、すごくワインに合っていると思いました。

実際、それを指摘されるお客さまも多くて、新しいラベルについても「このワインらしい」「グレイスらしい」という感想もいただきましたし、私自身のことも重ねていらっしゃるのか、「彩奈さんが成長して角が取れたようなエレガントさを感じる」と仰る方もいて、お伝えしたかったものが届いていたのかなと思います。

――お客さまもそのように仰っていると聞いて、原さんはいかがですか。

 良かったなと安心しています。強い/弱いというのは受け止め方でしょうけれども、今回の書は優しくてエレガントでありながら芯が通っている――つまり、筋の通り方が(製品と)合っているということではないでしょうか。

最近のお酒のラベルは、グラフィックで現代的なものが多いですよね。でも僕はグレイス(中央葡萄酒の愛称。最初の銘柄「グレイスワイン」からきている)にとってオーセンティシティは大事だと思う。変化する場合も極端なものではなくて、「変化はするけれども、つながっている部分もしっかり守られている」ことが大事かなと。連綿と続いている、それを頑固に変えない、というのもラベルの一つの形だろうと思っているんですよね。最初に同社のラベルをデザインさせてもらったのは、三澤農場ができる前からだから20年以上前でしょうが、そうやって続いていく中で今回は意味のある変化を表現できたと思います。

――原さんも、この「三澤甲州2020」はもう飲まれましたか。

 はい。彩奈さんや三澤社長と一緒に頂きました。基本的に私は甲州のワインはすっきりしていて好きです。一般によく「白身のお刺身に合わせるなら、シャルドネが辛くていい」というけれども、私は微妙に甘すぎると思っています。その点、甲州はすきっと味の余韻を昇華してくれるようなところがあって、たとえばヒラメの薄造りをスダチと塩だけで頂くときに甲州を合わせると、絶妙に「日本の食の豊かさ」が感じられる。今回の三澤甲州は熟成に耐え、味わいが増していくんだと伺ったので、今後どんな味になるのかも楽しみですね。

オーセンティシティの重要性

――彩奈さんとしては、「キュヴェ三澤 明野甲州2013」が2014年にDWWAで金賞を受賞して以来、「これを超えるものを作らなければ」と危機感をもちつづけて、ようやく世に出せた新製品なんですよね。

三澤 甲州というブドウのさらなる魅力を引き出すためにどうすればいいのかと考えてきた中で、熟成できるワインを造りたいという思いがありました。最近、テクノロジーが結集されたワインや、トレンドでもある「飲みやすい」ワインが増えていると思います。でもそんな中で、人間の力の及ばないところに熟成の面白みがある、と私は考えています。ワインは瓶詰をしてからも変化をしていくわけで、人間の力の及ばない、時間の経過でしか生み出すことのできない味わいがある。一般に、甲州は瓶詰めを行ってから3年ほどの早飲みがいいとは言われていますが、世界的には熟成しない品種はあまり評価されません。シャルドネやカベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワールが評価されるのも熟成に耐えられる品種というのは大きいと思います。

私自身の目標として甲州の価値を上げていきたかったし、辛口で熟成できるワインを造らなければ評価されないと思っていました。ただそれをテクノロジーで技巧的につくろうとすると、最初の1~2年は美味しく飲めるけれど、10年熟成させていくと、きっと化けの皮が剥がれる。ブドウやブドウ畑、風土の力を信じたところから生まれる複雑さや骨格が表現できれば、それがオーセンティックな形で熟成するワインになったのではないか。土着の酵母によるアルコール発酵を行い、マロラクティック発酵が自然に起こって、大地や風土から生まれてくる骨格や力強さによって熟成できるものを思い描いていて、今回の「三澤甲州」が一つの答えかもしれないと思っているところです。

 こういう話をする若い醸造家がしっかり出てきたんだなと、とても頼もしいですね。現代はテクノロジーを中心に世の中が回っていて、イノベーションが価値をもつと思われすぎている。明治維新以降、日本が世界にデビューして150年ほど経ちます。最初の75年で戦争に負けて、次の75年で工業立国化して高度成長を遂げ、いまはそれも終焉を迎えている。これからは、日本の風土が本来もつ実力をしっかり表現し、それを魅力に感じてくれる人たちが国外から沢山やってきて対価をはらってくれる時代になる。イノベーションも大事ですけれども、オーセンティシティも同じぐらい大事で、後者は昔からあって未来においても変わらない価値です。そういうものに対して、センサーを働かせる感覚が重要で、新しさや新規性だけではなくきちんと続いていくものをかぎ分けていくセンスが大事だと思う。それをまさに彩奈さんがやっている。

そして、いい意味で頑固にワイン一筋というのは、親子二代にわたってですよね。僕なんかはお酒の楽しみは体験全体でつくられるから、ワイナリーやオーベルジュを作ればいいのにと(三澤社長に)常に言っているのですが、ちょっと余裕ができるとすぐ設備に投資しちゃうんですよね(笑)。ひたすら品質にまい進していって、人を体験でもてなすという横道にそれない。

三澤 ワイン造りには、科学と同時に文化もすごく大事だと私も思っています。私が見てきたフランスのワイン造りと日本のそれを比べると、歴史の深さももちろんですが、文化的な違いを感じました。良い造り手というのは、風土を敬い、品種の味わいや産地の味わい以上のことを変に色付けしようとはしない。科学的な根拠だけでなく、同時に文化も感じられた。

私自身も、どう自分のワインが見られるかとか、いくらで売るかに注力するよりも、どうしたら良いワインを作れるか、本質に迫れるかに頭を使いたいんです。自分のワインをプロデュースするという考え方はあるけれども、あまりそちらに頭を使いすぎると損な気がしていて。

父に続いて私も原さんのデザインにお世話になっているのですが、実際に今回の「三澤甲州2020」をお願いしてつくづく思ったのは、20年以上変わらずにデザインしてくださって有難いなということです。自分たちの歴史の中に原さんのデザインがあるというのは尊いことだと心から思っています。

 有難いお話ですね。怖いことでもありますよね。抜き身の刀を首筋に突きつけられてる感じもあって。また彩奈さんが新しいワインを造ったらどうしようと(笑)。僕もデザイナーですから新しいことをやりたいといつも思っています。同時に、変える部分と変えない部分とをどう表現するのかについては真剣に考えているのです。いずれにしても新しいワインに負けないデザインを出していかないといけないと思っています。

グラフィックデザイナー・原研哉さん×ワイン醸造家・三澤彩奈さん対談「お酒のロマンチックなところが好き」という原さんがラベルのデザインで心に留めていることとは?スパークリング「グレイスブランドブラン2015」のボトル

三澤 今回もですが、以前スパークリングワイン(*)をつくったときにも、父を驚かせてしまいましたし、原さんも驚かせてしまいました(*:シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵による醸造と、その法定熟成期間以上で熟成させた本格的なスパークリングワイン。三澤社長は当初、ワイン造りに注力すべきとしてスパークリングを仕込むことに必ずしも賛成されていなかったが、出来上がったスパークリングに納得し、商品化された。国内外の数々の賞も受賞)。

 あのスパークリングのデザインも、オーセンティックなドシっとした瓶を用いて、下に重心がくるようなイメージで、ネックと胴ラベルで本格感を出したいなと考えました。日本のスパークリングはヨーロッパのそれと比べると軽すぎると感じていたので、しっかりした本格的なスパークリングであることを表現したいと思った。スクリプトの手書きの柔らかさと端正なフォントが複雑に混在していて、それでいながら簡潔におさまっているのが、スパークリングの本格感に通じるかなと思ったんですよね。

原さんのデザインの起点にあるのは…?

――原さんは、いつもどういう点をきっかけや足掛かりとして、デザインを考えていかれるんですか? たとえばお酒の場合で言えば……

 もともと僕はお酒が好きなんですよ。お酒のロマンチックさが好き。お酒のデザインを最初に手掛けたのは今から30年以上前になりますけれど、「ニッカ シードル」というスパークリングだったんです。そこからニッカのウィスキーもデザインするようになった。「ザ・ブレンド・オブ・ニッカ」のシリーズは典型的ですけど、熟成した琥珀色が分厚い瓶から透けてみえる感じはある種の柔術性に通じているというか(笑)。リキュールというのは別の世界の「ドア」なんですよね。

ヨーロッパを初めて旅したとき、バーに入って度数の高い酒を見ると、したたるようなワックスで封印されて針金が巻かれていたり、火であぶって焦げ目が付いたようなラベルが張られていたりして。モダンなデザインの瓶はほんの少ししかなくて、魔女がデザインしたんじゃないか? という雰囲気が、度数の高い酒の世界をつくっているという印象がありました。そういうおまじないというか、呪術性がアルコールの世界にはある。僕のお酒のイメージの基本はそれで、さっぱりと現代的にデザインするよりも、時間の経過を感じるというか、人の想いを封じ込めた呪術性があるというか、それが一つのポイントになっているように思います。一つのフォントだけでさらっとまとめるのではなく、スクリプトが入ってみたりローマンやゴシックがせめぎ合っていたり、混在・混沌としてる。そういうお酒に対する独特の想いがつきまとっている。それがイマジネーションの根源かもしれないですね。

三澤 スパークリングは熟成期間を長くしようと考えていまして、最初に原さんにデザインしていただいたときは20ヵ月ほどの熟成期間だったのですが、3年になり、今は5年になりと、原さんにそのたびに少しずつデザインに手を加えていただいてきました。来年は7年になりまして最終的には10年熟成のものに集約していきたいという気持ちがあります。なので、スパークリングに関しては引き続き色々お願いすることになります。

 新しく本格的なグレイスのワインのウェブサイトができました。この会社の文化でしょうけど、真面目すぎるから少しは「笑い」がないとつらいよとスタッフと言い交していたのですが、その真面目さの果てに笑いがあるのかもしれません。

三澤 そうですね。私自身はワイン造りに没頭する中で、原さんの世界の力をお借りしてグレイスワインを表現していただいていると思っています。原さんの純粋さは、私のワイン造りにも大きく影響を与えてくださっています。