唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【医師が教える】平清盛はなぜ「急死」したのか。「3つの死因説」とは?Photo: Adobe Stock

「鎌倉殿の13人」と平清盛

「鎌倉殿の13人」は、伊豆の弱小豪族から鎌倉幕府の最高権力者にまで上り詰めた北条義時の生き様を描く、今クールの大河ドラマである。

 ドラマの舞台は平安末期、平氏から源氏へ政治の実権が移り変わる激動の時代だ。

 平氏の棟梁、平清盛は、公家から武家へ、政治の大変革を成し遂げた巨頭である。太政大臣にまで上り詰め、「平氏にあらずば人にあらず」というほどの栄華を極めた。だが1181年、志半ばにして病に倒れ、64歳で急逝してしまう。

 3月20日の放送で清盛(松平健)は、顔を火照らせ、息も絶え絶えに「頼朝を殺せ、わしの墓前にあやつの首を供えるのだ」と息子の宗盛(小泉孝太郎)に伝え、この世を去った。

 記録によれば、1181年閏2月4日、清盛は突然、異常な高熱と頭痛、呼吸困難などの症状に見舞われたという。その症状は激烈で、「平家物語」によれば、あまりの高熱で清盛の浸かった水風呂が熱湯になったというのだ。

 そして病状は急速に進行し、最期は「あつち死」したとされる。「あつち死」とは奇妙な表現で、悶え苦しんで亡くなったものと解釈されるが、その詳細は謎に包まれている。

清盛の死因を推測する

 清盛は一体、何の病気で急死したのだろうか?

 その死因については、これまで多くの専門家や作家が資料を紐解き、分析を行ってきた。とにかく多くの説があり、いずれも決め手に欠けるのだが、最も代表的なのはマラリア説である。

 マラリアとは、マラリア原虫という微生物が起こす感染症で、蚊が媒介して流行する。日本では、マラリアは古くから「瘧(おこり)」と呼ばれ、流行が繰り返されていた。平安時代の京都でもマラリアは蔓延しており、清盛の症状と合致する。

「新・平家物語(吉川英治著)」では、清盛は蚊に噛まれて瘧を発症したとしており、医師の視点で歴史上の人物の病気を診断した「戦国武将を診る(早川智著)」でも、マラリア説が支持されている。

 一方、溶連菌による全身性の感染症が死因だった、とする説がある。溶連菌は細菌の一種で、のどの扁桃に感染し、強い咽頭痛や高熱を引き起こすことがある。今でも季節を問わず出会う感染症である。

 皮膚に赤いぶつぶつが出るため、昔から「猩紅熱」と呼ばれ、抗生物質のない頃は重症化することも少なくなかったと思われる。清盛も声の枯れや全身の赤みが生じたとされ、症状はおおむね一致する(「病気が変えた日本の歴史(篠田達明著)」より)。

 また、病気の頻度から考えて、髄膜炎だったのではないかという説もある。髄膜炎とは、風邪や中耳炎、副鼻腔炎などの感染症が、脳を包む髄膜にまで広がって起きる病気だ。典型的な症状は、頭痛と発熱である。

 医学が発展した今でも、髄膜炎にかかるとまれに重毒な状態に発展し、患者の命を奪うこともある。清盛の症状と照らし合わせると、十分にありうる仮説である(「英雄たちのカルテ(若林利光著)」より)。

 いずれにしても、清盛の急性の経過は、第一に何らかの感染症を推測させる。

 どれほどの権力者でも、病気には敵わない。もしかすると、清盛が病に倒れなければ、日本の歴史は変わっていたかもしれない。平家の世を終わらせたのが、実は小さな微生物であったかもしれないと思えば、何とも感慨深いものである。

(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)