世界大戦後、トルコの「立ち位置」が固まる
時は流れて1914年、第一次世界大戦が勃発。オスマン帝国は三国同盟側で参戦して敗れます。そのためボスポラス海峡とダーダネルス海峡の主権を放棄させられ、両海峡については国際管理下に置かれることとなりました。
1922年にはスルタン制の廃止によってオスマン帝国が滅亡し、翌年にはローザンヌ条約によってオスマン帝国と連合国との戦争状態は終結したことを確認し、トルコ共和国が主権国家として認められます。トルコは両海峡への主権を持つこととなりますが、非武装地帯とされ、海峡を監視する組織として国際海峡委員会が設置されます。
1936年、トルコはローザンヌ条約の締約国に対して条約改正を求める通告を出します。この時に結ばれたのが「モントルー条約」です。
このモントルー条約によって、ローザンヌ条約の通航に関する内容は効力を失いました。モントルー条約の内容は大きくまとめると以下の通りです。
①商船の自由航行が認められる。
②海峡を航行する軍艦はトルコ政府によって制限される
トルコ政府は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月24日のあと、ウクライナ侵攻は「軍事作戦」ではなく「戦争」だと認識し、27日にはロシア・ウクライナ両国の軍艦に対してモントルー条約が適用されると表明しています。