唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【外科医が教える】医師が聴診器で聞いている「2つの音」とは?Photo: Adobe Stock

聴診器の発明

 診察の代表的な手法として、見る(視診)、聴く(聴診)、触る(触診)、叩く(打診)の四つがある。中でも聴診は、誰もが医師から受けたことのあるなじみ深い診察法だろう。医師が聴診器を患者の胸や背中に当てる、というのは、診察室でもっともよく見る光景だ。

 実は聴診そのものの歴史は古く、古代ギリシャの時代にも行われていたとされている。だが、聴診器が初めて使われたのは十九世紀になってからである。それまでは、患者の胸に直接耳を当て、その音を聴いて診察していた。

 聴診器を発明したのは、フランスの医師ルネ・ラエネックである。心臓に病気を持つ若い女性を診察する際、胸に頭を密着させることに抵抗を感じたラエネックが、紙でつくった筒を通して聴診したことが始まりだ。

 筒を使うと胸の音がはるかによく聞こえることに気づいたラエネックは、聴診用の木製の筒をつくり、これを「聴診器(stethoscope)」と名づけた。また、このようにして聞いた聴診音の性質と、解剖後の胸の病気とを結びつけ、詳細に研究を行った。

 一八一九年、ラエネックはこの研究結果を「間接聴診法」として公表し、聴診という技術の基礎をつくったのだ。単に便利な道具をつくるだけでなく、「どんな病気ならどんな音が聴こえるか」まで詳細に解き明かそうとする探究心にこそ、彼が歴史に名を残す理由があったのだろう。

 その後、聴診器は徐々に改良され、十九世紀後半には、ゴムのチューブを通して両耳で聞く今の形が普及するようになった。

聴診器は医師の自費購入

 聴診器にはさまざまな価格のものがあり、各医師が好みと必要性に応じて自分用のものを購入する。医学生時代に実習用に簡易的なものを購入し、医師になってから本格的な聴診器を購入するケースも多い。

 もちろん、すべて医師個人のポケットマネーで購入するもので、職場から支給されるようなものではない。

 近年は電子聴診器が開発され、音を電気的に増幅できるようになっている。聴いた音を録音し、あとで聞き直すこともできるため、教育目的で使うことも可能である。ただ、音が聞き取りやすい反面、電池が必要なためヘッド部分が重いなどの欠点もあり、それほど広く普及しているわけではない。

死亡確認の際に必要なこと

 そもそも、医師は聴診器で何を聞いているのだろうか? 気まぐれに胸や背中に聴診器を当てているように見えるかもしれないが、もちろん聴診には定められた手順がある。

 聴診で聞くのは、主に心音と肺音である。心音を聞いて心臓に病気がないかどうかを確認し、肺音を聞いて肺や気管に異常がないかどうかを確認する。心音、肺音を聞く上で、それぞれ聴診器を当てる部位も細かく決まっている。私たちが医学生の時に詳細に学ぶ診察技術の一つだ。

 とはいえ、必ずしも患者全員に上半身裸になってもらい、「教科書通り」の聴診をしているとは限らない。聴診以外の方法で診察して得た情報や、症状の現れ方によって聴診の重要度は異なるためだ。診察は、患者それぞれの病状に応じてカスタマイズし、適切に緩急をつけるのが原則である。

 ちなみに、聴診器を当てるのは胸と背中だけではない。血管の音を聞くケースもあるし、腸の音を聞くためにお腹に当てることもある。もちろん、医師だけでなく、看護師をはじめ他のメディカルスタッフも現場では聴診器を使って仕事をしている。

 また、聴診器は生きている人に対してのみ使われる道具ではない。死亡確認の際にも、聴診器は必要である。

 死亡確認の際は、聴診器を胸に当てて肺音と心音が聞こえないことを確認する。次いで、ペンライトの光を瞳孔に入れて、対光反射が消失していることを確認する。対光反射の消失は、脳の機能が停止していることを意味する。

 対光反射とは、光が目に入ると瞳孔が小さくなる(縮瞳する)反射のことだ。目は光の量に応じて、絞りを自動調節する機能がある。生きている人の瞳孔径は、たった〇・二秒で最大約八ミリメートルから一ミリメートルまで瞬時に変化する。

 よって、この反射が消失していることは、目に光を入れるだけですぐにわかるのだ。

アイントーベンの三角形

 体表面から心臓の活動を確認する方法としては、心電図もよく用いられる。心臓の動きは心筋内を走る電気信号によって制御されている。この電気的な活動を体表面から測定し、波形として表示したものが心電図だ。

 手足と、胸の表面に計一〇個の電極を装着し、一二種類のベクトルで電気活動を計測する。よって、これを12誘導心電図と呼ぶこともある。

 検査中は、痛みなどの辛い感覚は全くない。電極を装着してゆっくり横たわっているだけで済む検査である。

 心臓に何らかの問題が起こると、心電図の波形に特徴的な変化が現れる。したがって、心電図は心疾患の診断において極めて重要な検査である。

 心電図が実用化されたのは、二十世紀に入ってからだ。一九〇三年、オランダの生理学者アイントホーフェンが心電図の測定法を初めて発表し、のちに医療現場で広く用いられるようになった。アイントホーフェンは、この功績によって一九二四年にノーベル医学生理学賞を受賞している。

 ちなみに左右の手と左足の電極で形づくられる三角形は、今も「アイントーベンの三角形」と呼ばれている(アイントーベンはアイントホーフェンEinthovenの英語読み)。

(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)