Netflix、Spotify、Adobe……数々の企業を成功に導いた凄腕コンサルタント、ハミルトン・ヘルマー。彼はその著書『7 POWERS』で、優れたビジネスに必須の「7つのパワー」を解き明かした。戦略に対する深い洞察と実践経験に基づく同書は、シリコンバレーの起業家たちの間で経営のバイブルとして密かに読み継がれてきた。
アメリカで私家版的に刊行されたため、日本ではごく一部のトップビジネスマンにしか知られていなかった同書が、ついに邦訳刊行される。本連載では、その『7 POWERS』の一部を特別に公開していきたい。
今回は前回に続き、7つあるパワーのうち第1のパワー「規模の経済」を紹介する。DVDの宅配事業からストリーミングによる動画配信事業へと、Netflixは新たなステージへ歩を進めた。新規事業に邁進するなかで、彼らは一つの大きな決断を行う。その一打によりNetflixは「規模の経済」のパワーを得て、他の動画配信事業者に対して決定的な優位性を持つことになる。
時代遅れの事業からの脱却
ストリーミングは「DVDs by mail」とは戦略上、別の事業である。それぞれのパワーの推進力の方向性がまったく異なり、業界の経済構造も異なれば、潜在的な競合相手も異なるからだ。当時、ストリーミングがパワーを持つ事業になる見通しが立っていたとは言えなかった。情報技術関連のコストの急落とクラウドサービスの急速な進化によって、ストリーミング事業への参入障壁は縮小しつつあった。つまり、誰でも簡単にストリーミング事業を立ち上げられるのではないかと思われたのだ。
Netflixもストリーミングは無視できないと認識していた。鋭敏な戦略眼を持つ彼らは、自分たちが築き上げてきた事業がすでに時代遅れであることを自覚していたのだ。彼らは抜け目ない戦術を選んだ。2007年から徐々にストリーミング事業に参入していったが、新規分野への挑戦というリスクを考慮して、無謀な冒険はしなかった。とりあえず始めてみて、そのなかで経験を積みながら課題を浮き彫りにしようと考えたのだ。地道な準備作業を進め、ストリーミング・プラットフォーム関連の電子機器会社との業務提携を結んでいった。
しかし、賢明な戦術を展開することの難易度は高いが、それ自体は戦略ではない。実際、事業を立ち上げた当初はパワーになり得るかどうかは不透明な状態だった。当面の間、Netflixがしたことは、アンテナを張りめぐらしながら、いずれ幸運の女神が自分たちの「用意された心」に微笑んでくれるよう願うことだけだった。
決定打となった大きな決断
Netflixの事業を左右する分岐点となったのは4年後の2011年である。それまで、Netflixはコンテンツホルダー(映画制作会社がその代表例である)とストリーミングの権利を交渉していた。だが、そうしたコンテンツホルダーは自分たちの持つ財産を最大限に利用していた。保有する権利を地域、公開日、契約期間と細かく区分して切り売りしていたのだ。
Netflixのチーフ・コンテンツオフィサー、テッド・サランドスは、有望作の独占配信権を得ることが不可欠だと強く思うようになった。ここに至ってようやく、Netflixは大きな決断を下す。彼らは多額の資金を投入してオリジナル作品の制作に着手したのだ。その第一弾として公開されたのが2013年の『ハウス・オブ・カード 野望の階段』だった。
一見すると、Netflixの決断はリスクが大きすぎ、あまりに野心的すぎるように見えた。オリジナル作品を制作し、そのコンテンツに関するすべての権利を一括して管理すれば、莫大な経費がかかる。Netflixはそれ以前にもレッド・エンベロープ・エンタテインメントという映像プロダクションを設立し、そこでオリジナル作品を制作したことがあったが、その結果は芳しくなかった。そのため、再度の制作への挑戦も無謀な作戦に終わるかもしれないと危惧された。
しかし、こうした大胆かつ常識に反した行動が、状況を一変させることになる。独占配信権とオリジナル作品のおかげで、Netflixのコスト構造において大きな割合を占めているコンテンツ費用を固定費として扱えるようになったのだ。
競合の配信事業者が同様に自社でコンテンツを開発するとどうなるだろう。たとえば、Netflixが『ハウス・オブ・カード』に1億ドルを費やし、同社のストリーミング事業に3000万人の顧客がついたなら、顧客一人当たりのコストは3ドル程度だ。しかし、契約者が100万人しかいない配信事業者は、契約者一人当たり100ドルを支払わなければならない計算になる。これは業界の経済構造における一大変革であり、商品の価値破壊競争において圧倒的優位を得る方法だった。
(次回に続く)
(本原稿は『7 POWERS』からの抜粋です)