多くの日本人は気づいていなかったが、2000年以降のアメリカでこの100年起こっていなかった異変が進行していた。発明王・エジソンが興した、決して沈むことがなかったアメリカの魂と言える会社の一社、ゼネラル・エレクトリック(GE)がみるみるその企業価値を失ってしまったのだ。同社が秘密主義であることもあり、その理由はビジネス界の謎であった。ビル・ゲイツも「大きく成功した企業がなぜ失敗するのかが知りたかった」と語っている。その秘密を20数年にわたって追い続けてきたウォール・ストリート・ジャーナルの記者が暴露したのが本書『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』(ダイヤモンド社刊)だ。電機、重工業業界のリーダー企業だったこともあり、常に日本企業のお手本だった巨大企業の内部で何が起きていたのか? 成長のスピードが足りなくなったとき、経営の神様と言われたCEOは何をしたのか?(訳:御立英史)

経営の神様Photo: Adobe Stock

経営の神様と呼ばれたジャック・ウェルチ

 コングロマリットの株は、個々のユニットの合計よりも低価格で取引されるのが常だが(それをコングロマリット・ディスカウントと言う)、事業の多様性と資本調達力の高さから、理論的にはボラティリティ〔価格変動性〕は低い。しかし、安価なオンライン取引、マネージド・ファンド、インデックス・ファンドの時代にあっては、コングロマリットであることに利点はない。

 ジャック・ウェルチの下でGEは急速に変化した。CEO就任1年目に彼が行った「成長の遅い経済で速く成長する」というスピーチは有名だ。GEのブランド力が彼の戦略に信憑性を与えていたこともあり、CEO在任20年間で約1000件、月平均約4件の企業買収を行い、その総額は1300億ドルを超えた。就任わずか5年後の1985年までに、工場のロボット導入と自動化のために総額80億ドル以上を投資した。

 ウェルチは新たな重要な収益源もつかんだ。当時、GEクレジット・コーポレーション(GECC)の名で知られた金融サービス部門である。GECCに100億ドルを投じ、不動産やビジネス機器を買い取って他社にリースする事業を始めた。

 それは、GE最大の収益エンジンを構築する最初の一歩だった。事業と資産のポートフォリオを拡大し、バランスシートを巨大で強固にすることで、事業資金を調達しやすくするだけでなく、金で金を稼ぐ財務的な収益構造を築こうとするものだ。

 ウェルチが行った経営革新として、マネジメント教育とマネジメント効率の向上がよく指摘されるが、それに匹敵するのがこの金融への取り組みだ。それはGEの相貌を変え、将来を変えた。1985年には、金融サービス部門の年間利益はGE全体の6分の1を占めるまでになっていた。ウェルチの就任当初は約7%(1970年代の大半を通じて変わらなかった)だったので、飛躍的拡大と言える。80年代半ばには、GEが行う融資は米国の大手金融サービス会社に匹敵するほどの規模になっていた。

 最盛期には、GEキャピタルはGEの総利益の半分以上を生み出していた。米国で最も有名な製造企業は、実質的には、米国で最も大きく、最も謎めいた銀行の一つになっていたのである。

頂点での光と影

 ウェルチとその信奉者たちにとって、彼の手法が輝かしい成功を収めたことは、数字が雄弁に物語っている。だが、その成功は社員の大きな痛みを伴った。ウェルチは徹底的に人員を削減したことで有名だ。その方針は、生涯働くつもりで従業員が入社してくる会社に緊張をもたらした。1980年代にGEは、全従業員の4分の1に当たる10万人以上の首を切り、さらに数万人の雇用を、労働組合がなく低賃金の海外に移した。ウェルチにコスト削減以外の戦略があるのかという批判や、従業員の士気の低下による副作用を心配する声も聞かれた。

 労働組合やその他の反対派は、建物はそのままなのに中で働いている人間だけを消滅させてしまう核兵器になぞらえて、ウェルチのことを「ニュートロン・ジャック」と呼んだ。ウェルチは嫌ったが、このあだ名は彼に付いて回った。

 物議を醸したもう一つの有名な戦術は、「ランク・アンド・ヤンク」〔ランク付けして引っこ抜く〕と呼ばれるものだ。管理職に部下のパフォーマンスの年間ランキングを作成させ、下位10%の社員にはその旨を通知し、改善がなければ解雇するというものだ。常にプレッシャーをかけられ、社員の緊張感は高まる一方だった。

「ランク・アンド・ヤンク」は、企業買収では、無駄な贅肉を落として利益を絞り出す方法として有効に機能した。しかし、そんな方法は有害無益だと考えるマネジャーもいた。何年か続けるうちに、有能な社員までが下位10%に入ってしまったらなおさらだ。人体でもそうだが、贅肉も減らし続けられるものではない。従業員同士のサバイバル競争を激化させ、チームワークを困難にすると考える人もいた。部下の雇用を守るために、死亡した社員をランキングの下位10%に入れて、制度の裏をかこうとしたマネジャーもいた。

 ウェルチは、会社の競争力の源泉は社員にあり、個々のパフォーマンスを維持することは永遠の課題だと力説した。GEのマネジメント・マシンは、働き方を改善しようとしない社員のなまけ心を一掃するために、容赦のない仕組みを制度化したのである。

 ウォール街はウェルチによる一連の改革を喜んだ。株価はウェルチの下で急上昇し、ウェルチのCEO在任中に株式分割が5回行われた。前任のジョーンズや後任のイメルトと違い、ウェルチはGEを会社の歴史上、最大級のブームへと導いた。

 ウェルチを批判する人びとは、彼の戦略が成功したのは国の経済が繁栄していたからだと考える。しかし、ウェルチの支持者たちはその見方を一蹴し、ウェルチの功績を評価する。GEの成功が国の繁栄を加速させたと言う者さえいる。

 労働者もウェルチに好意的なのは、株価が上昇し続けたからだ。1980年から2000年にかけて、GEの売上げは5倍以上増えて1299億ドルに達し、収益は15億ドルから127億ドルに増加したが、この間、株価は実に40倍以上に上昇した。

 GEの周囲では、ウェルチが若かったころに羽振りのよかったコングロマリットが崩壊し、投資家からだけでなく、米国文化の広範な動きからも見放されていた。60年代、70年代の古い巨大企業は広がりすぎ、遅すぎ、大きすぎる体を抱え、扱いにくく傲慢だとみなされた。

 他社が生き残れなくなってきた世界で、GEは成功を収めた。GEの歴史的ライバルであるウェスチングハウスのような巨大コングロマリットは姿を消し、AT&Tのような企業は競争の激化や政府の規制によって四面楚歌の状態だった。そんななかで成功を収めたことで、GEはすぐれた人材、文化、伝統ゆえに、ルール適用の例外とされるべき企業である、というドグマが強化された。

 ウェルチの時代に、GEを解体するなどと言えば、バカげた考えだと一蹴されただろう。収益目標を達成し、市場の期待を上回る結果を出し続ける限り、GEとウェルチには市場の法則とは関係なく経営を続ける権利、偉大なコングロマリットの最後の1社になる権利が与えられた。