壁を超えたら人生で一番幸せな20年が待っていると説く『80歳の壁』が話題になっている今、ぜひ参考にしたいのが、元会社員で『島耕作』シリーズや『黄昏流星群』など数々のヒット作で悲喜こもごもの人生模様を描いてきた漫画家・弘兼憲史氏の著書『死ぬまで上機嫌。』(ダイヤモンド社)だ。弘兼氏のさまざまな経験・知見をもとに、死ぬまで上機嫌に人生を謳歌するコツを説いている。
現役世代も、いずれ訪れる70代、80代を見据えて生きることは有益だ。コロナ禍で「いつ死んでもおかしくない」という状況を目の当たりにして、どのように「今を生きる」かは、世代を問わず、誰にとっても大事な課題なのだ。人生には悩みもあれば、不満もあるが、それでも人生を楽しむには“考え方のコツ”が要る。本書には、そのヒントが満載だ。
※本稿は、『死ぬまで上機嫌。』より一部を抜粋・編集したものです。
高齢男性が苦手な人間関係作り
長年同じ地域に住んでいると、最低限の近所づき合いからは逃れられない部分もあるでしょう。例えば、分譲マンションに住んでいると「管理組合」という居住者による組織があり、理事の役割を順番に引き受けなければならなかったりします。僕自身は、仕事の締め切りに追われていることを理由に、丁重に遠慮を続けているのですが……。
一方、地方に住んでいると、災害対応などを想定して、近隣の住民同士で安否確認や救助活動が期待されているという話も聞きます。そうしたことを考えると、地域では孤立するより、ある程度の人間関係を作っておいたほうが望ましいのは確かです。
ただ、ここで一つの問題が浮上します。男性は地域の人間関係作りを苦手とする傾向があるのです。女性はふだんから近所の人と井戸端会議をしたり、贈答品をお裾分けしたりする行為に慣れています。相手の社会的な立場とか経済状況にかかわらず、自然に仲よくできるという傾向があります。
人付き合いを邪魔する安っぽいプライド
なんといってもママ友には「子ども」という共通の話題があるので、何歳になっても話のネタに困ることはありません。ところが、男性はその手の人づき合いがからっきしダメですね。近所の人と顔を合わせれば、頭を下げて挨拶するくらいで、それ以上の会話となると、まるで続きません。
近所の人づき合いを避けて、一人で閉じこもるパターンに陥りがちです。無意識かもしれませんが、長年染みついた安っぽいプライドにしがみつこうとして、現役時代の肩書きをいつまでも引きずってしまう人も多いです。
そのせいで、垣根を越えて人とつながることが不得手なのです。実際に地域の会合などが開かれると、男性のしょうもないプライドがあらわになって会話も弾まず、傍目に見ると痛々しい光景が繰り広げられることになります。
現役時代の肩書きに無意識にこだわるという病
地域の住民は、過去の職業も経歴もバラバラです。会合があると、そういう人たちが一堂に会して話し合いをするわけです。すると昔、会社の社長や役員だったりした人が、上から目線の発言に終始したりします。
現役時代を通じて人に指図するスタイルに慣れきっているので、今さらへりくだった受け答えをすることができないようなのです。会社に勤めていたときは、肩書きがあったからチヤホヤされていただけ。地域の会合に出たら“一人のジジイ”に過ぎません。
それを自覚できないまま尊大に振る舞うわけです。当然、周囲の人からは浮いた存在となってしまいます。
余生を生きやすくする“決定的なふるまい”
「なんなんだ、このエラそうなじいさんは。現役時代は何をやっていたか知らないけれど、まともな受け答えもできないのか」。そんな評価が瞬時に定着してしまうと、「扱いづらいやっかいな人」として腫れもの扱いされて、知らず知らずのうちに孤立してしまうのです。
地域では現役時代の肩書きを捨てることが基本中の基本です。定年になれば、大工の棟梁だろうが、海外に赴任した外交官だろうが、大会社の社長だろうが、全員が平場に下りてただの「地域住人」となるのです。むしろ、キャリアを極めて深い教養を身につけた人ほど、謙虚でなければなりません。
自分のことについて話すなら、趣味や故郷のことなど、当たり障りのない話題にとどめておくのが賢明です。余生を生きやすくするのは「謙虚であること」、これに尽きます。
※本稿は、『死ぬまで上機嫌。』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。