唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

消化液がお腹の中に漏れて広がると大問題!本当に怖い「膵臓の外傷」とは?Photo: Adobe Stock

膵臓の特殊な性質

 二〇一五年、七歳の男児が登校中につまずいて転倒し、首から下げていた水筒がお腹と地面の間に挟まって腹部を強打するという事故があった(1)。

 走っていた勢いで回転するように転び、水筒は地面に対して垂直になり、その底でお腹を突き刺すような形になったという。

 その後、ぐったりして嘔吐が続いたため、男児は病院に搬送された。検査の結果、膵臓が断裂していた。二週間のうちに三回の開腹手術を受け、膵臓を半分摘出し、男児は一命を取り留めた。

 膵臓の外傷は、本当に「一大事」である。その理由は、膵臓の特殊な性質にある。

 膵臓は、胃の裏側にある長さ一五センチメートルほどの黄色くてやわらかい臓器である。交通事故や転落、暴力などで腹部に強い衝撃を受けると、傷ついたり断裂したりすることがある。

万能な消化液

 膵臓は万能な消化液である膵液をつくる臓器だ。もし膵臓が壊れ、この液がお腹の中に漏れて広がると、大問題を引き起こす。

 なぜなら、私たちの体が(ある意味で)消化されてしまうからである。人体を構成する成分は、私たちが好んで食べる自然界の動物たちと大差ないのだから、当然のことだ。

 膵液は、お腹の中の血管や臓器を傷め、ひどい炎症を引き起こす。場合によっては即座に命にかかわることもあるのだ。

豆腐のようにやわらかい

 しかも、膵液は一日に約一・五リットルも産生される。大きなペットボトル一本分である。膵臓が断裂したからといって、膵臓は膵液をつくるのをやめてはくれない。手術で修復しない限り、膵液はお腹の中にあふれ続けるのだ。

 その上、断裂した膵臓を再びつなぎ合わせるのも至難の業である。膵管の直径はほんの数ミリメートルと非常に細い。膵臓そのものも、豆腐のようにやわらかい。

 場合よってはつなぎ合わせることが困難と判断され、膵臓を部分的に、あるいはすべて摘出しなければならなくなる。

 冒頭の事例でも、最初の手術では膵臓が温存されたようだが、二回目の手術では膵臓を約五〇パーセント摘出している。インスリンが不足して糖尿病を発症する恐れもあるため、注意が必要になる、と報告されている(1)。

鈍的外傷は怖い

 銃やナイフなどによる外傷を「穿通性(鋭的)外傷」といい、交通事故や転落などによる外傷を「鈍的外傷」という。「鈍」の訓読みは「なまくら」だ。

 つまり鈍的外傷では、傷が皮膚を貫通しない。だが、ピンポイントで臓器が傷つく穿通性外傷に比べ、鈍的外傷は広い範囲に損傷が起きやすく、重篤化しやすい。前述の水筒による打撲などは、まさしく鈍的外傷の一例だ。

 日本では鈍的外傷が八八パーセントを占め、穿通性外傷は約三パーセントと少ない(2)。銃創が極めてまれな日本において、穿通性外傷の多くは刺創(ナイフなどで刺した傷)である。

 また、一般的に、管腔臓器より実質臓器のほうが損傷しやすい。管腔臓器とは、「管」になった臓器や、中が空洞になった臓器のことだ。

 胃や小腸、大腸、子宮、膀胱などがそうである。一方、実質臓器とは中身が詰まった臓器のことだ。肝臓や腎臓、脾臓、膵臓などがそうである。

肝臓は要注意

 管腔臓器は、凹んだり膨らんだりと外力によって柔軟に大きさを変えられる。赤ちゃんが子宮の中でどんどん大きくなれることを思えば、その変化はイメージしやすい。だが、実質臓器はそう簡単に形を変えられない。

 実際、鈍的外傷のわずか一・二パーセントが管腔臓器の損傷で、大半を占めるのは実質臓器の損傷である(3)。

 腹部の外傷によってもっとも損傷する頻度が高いのは肝臓である。その次が脾臓、腎臓と実質臓器が続く。膵臓はこれらより少ないが、お腹の奥にあるため単独損傷は極めて少なく、九〇パーセント以上に他の臓器損傷を併発する(3)。

人体の弱点を知る

 特に肝臓は、男性で一・五キログラム、女性で一・三キログラムもあり、腹部臓器の中では最大である。その分だけ、外力によって損傷されやすいのだ。

 私たちの体には、傷つきやすい場所とそうでない場所がある。体のしくみを知っていれば、人体の弱点についても理屈で理解できるのだ。

【参考文献】
(1)日本小児科学会「Injury Alert(傷害速報)」(https://www.jpeds.or.jp/modules/injuryalert/)
(2)『外傷初期診療ガイドライン JATEC 改訂第5版』(日本外傷学会、日本救急医学会監修、日本外傷学会外傷初期診療ガイドライン改訂第5版編集委員会編、へるす出版、二〇一六)
(3)『外傷専門診療ガイドライン JETEC 改訂第2版』(日本外傷学会監修、日本外傷学会外傷専門診療ガイドライン改訂第2版編集委員会編、へるす出版、二〇一八)

(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)