地球誕生から何十億年もの間、この星はあまりにも過酷だった。激しく波立つ海、火山の噴火、大気の絶えまない変化。生命はあらゆる困難に直面しながら絶滅と進化を繰り返した。ホモ・サピエンスの拡散に至るまで生命はしぶとく生き続けてきた。「地球の誕生」から「サピエンスの絶滅、生命の絶滅」まで全歴史を一冊に凝縮した『超圧縮 地球生物全史』は、その奇跡の物語を描き出す。生命38億年の歴史を超圧縮したサイエンス書として、ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』著者)から「著者は万華鏡のように変化する生命のあり方をエキサイティングに描きだす。全人類が楽しめる本だ!」など、世界の第一人者から推薦されている。本書の発刊を記念して、内容の一部を特別に公開する。
旅好きの人類
人類は、旅好きだったようだ。
まず、アラビア南部からインドに広がった10万6000年前から9万4000年前にかけて。次に、8万9000年前から7万3000年前、東南アジアの島々に到達した。
5万9000年前から4万7000年前までは、アラビアとアジアへの移動が特に盛んで、オーストラリアにも上陸した時期だ。
徹底的に占領する
そして最後に、4万5000年前から2万9000年前までは、高緯度地域を含むユーラシア大陸全域を徹底的に占領し、アメリカ大陸へもためらいがちに足を伸ばし、アフリカへの再移動がおこなわれた時期だ。
出会いと争い
だが、これは人間がその時期以外はじっとしていたということではない。このような時期は、気候が晴れやかで、移動にもっとも適していたのだ。
広がった人類が分裂した時期もあった。たとえば、トバ噴火の直後の寒冷で乾燥した時期には、アフリカの人類と南アジアの人類が切り離された。
その後、1万年ものあいだ、両者がふたたび相まみえることはなかった。移動する人類は、その道中でほかのホモ属と出会った。
邂逅の結果はさまざまだった。あるときは、違いを感じた部族同士が争うこともあった。
ネアンデルタール人との交配
また、あるときは、遠くから来た「いとこ」として迎え入れ、つまるところ、最初の見かけほどには違いがないことに気づいた。
彼らは物語を伝え合い、婚姻により絆を深めた。現代人はレバント地方でネアンデルタール人と出会い、交配した。
その結果、アフリカ人だけを祖先とする人々を除き、現代人は、多かれ少なかれ、ネアンデルタール人のDNAを受け継いでいる。
皮肉な運命
東南アジアでは、移動する人類が、デニソワ人の遺伝子をヒトの遺伝子プールに加えた。
彼らは、山岳地帯に住んでいた人々の子孫で、その後長いあいだ低地に順応していた。
デニソワ人の遺伝子は現在、彼らが生まれた山奥から遠く離れた、東南アジアの島国や太平洋の人々に伝わっている。
現代のチベット人が「世界の屋根」の薄い空気のなかで不自由なく生活できるようにしてくれる遺伝子は、「永遠の雪」の民からの餞別だったのだ。
しかし、このデニソワ人は、ホモ・サピエンスという大きな流れに完全に吸収され、3万年前には種としては消滅した。皮肉な運命だといえよう。
ホモ・サピエンスを撃退
4万5000年前、現代人は、東はブルガリアから、西はスペイン、イタリアまで、いくつかのルートでヨーロッパに入り込んだ。
ネアンデルタール人は、25万年前からヨーロッパで優勢で、ホモ・サピエンスの侵入をことごとく撃退していた。
しかし、今度は急激に減少し、4万年前までには、この氷河時代の覇者は、ほぼ絶滅してしまった。
絶滅の理由とは?
その理由はいろいろと議論されてきた。彼らは現代人と争ったのかもしれない。彼らが現代人と交配していたことはたしかだ。
繁殖速度がわずかに速く、本拠地から遠く離れた場所でも生息可能だった現代人を前にして、さしたる争いもなく消え去った可能性もある。
最終的に、スペイン南部から北極圏のロシアまで、現代人はあふれ返っていた。
少なすぎた人口
遠く離れた最後の砦に隠れていた、残りのネアンデルタール人は、同種のみで繁殖するには、あまりにも数が少なくなり、散り散りの状態だった。
ネアンデルタール人の人口はもともと少なかった。
小さくなるにつれ、近親交配や事故による影響が大きくなった。
ネアンデルタール人の絶滅
どんな人間社会にも、小さすぎて存続できなくなる時期がやってくる。
人がいなくなることほど、集団を確実に絶滅へと導くものはない。
結局のところ、侵略者と交配するほうが簡単だったのだ。
ルーマニアの洞窟から出土した4万年前の人間の顎の骨のDNAから、その持ち主の曾祖父がネアンデルタール人だったと判明している。
(本原稿は、ヘンリー・ジー著『超圧縮 地球生物全史』〈竹内薫訳〉からの抜粋です)