人気絶頂の中、日本でのすべての芸能活動を休止し、渡米してから約30年。その生き方と圧倒的な個性で注目を集めてきた野沢直子さんが、還暦をまえにして「60歳からの生き方」について語ったエッセイ集『老いてきたけど、まぁ~いっか。』が発売とともに話題になっています。「人生の最終章を思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」について、本連載では紹介していきます。
もうずっと走ってきて、ふと気がついたらもう五十代になっていた
個人差はあると思うが、五十代、特にその後半ともなれば子育てや仕事の面でとりあえずは一段落の時期であると思う。ほとんどの人が、もう三十代や四十代の時のように毎日走っていなくてもいい時期になってきていると思う。
十代では、自分探しの旅で苦労した。それでもなんだか何がおかしかったんだか毎日笑い、一番楽しかった時代だったように思うが、自分自身とひたすら対峙してもがいて必死だった。
二十代になってようやく暗闇の中、自分と伴走しながら助走して、とりあえずは闇雲に走り出した。暗闇の中で何も見えなかったが、とにかくは走り続けているうちに自分の基盤なるものを形成し、喜ぶのも束の間、三十代、四十代になって、急に頭に責任感を乗せられて家庭というぐらぐらした不安定な箱のバランスを取りながら両手で支え、子どもと戦いながらしばらく全力疾走で走った。二十代で形成した自分が良かったのか悪かったのかも考える間もなく、走らされてきた。
もうずっと走ってきて、ふと気がついたらもう五十代になっていた。そんな人が多いのではないだろうか。自分の家庭を持ってこなかった人でも、三十代や四十代は仕事や会社のために走らざるを得ない状況にあった人は多いと思う。
やりたくないことを無理に我慢してやっている時間なんてあるんだろうか。いや、ない。ないはずだ
仕事もリタイアの時期が近づいてきた、子育てが終わった、などで立ち止まり、自然と今はこれまでの人生を振り返って色々と考えている時期だと思う。
今は、人生百年時代と言う。その新時代でも五十を過ぎたら、特に五十も後半に差し掛かっているのであれば、もうとっくに折り返し地点は通過していることになる。この先の人生は、もう今までの五十年より時間的には短くなるのだ。
人生何が起きるかわからないので、あと三十年はいける、いやもっと長いかもしれないと思っていたら、案外もっと短いかもしれない。縁起でもないことは考えたくはないが、何が起こるかは誰にもわからない。
迫りくる老いにジタバタはしているのも事実ではあるが、いつ頃からだろう、おそらく五十代に差し掛かったあたりからだったろうか、事あるごとに『もう別にそんなに頑張らなくてもいいんじゃないの』ともう一人の自分が言うようになった。この声は段々と大きくなってきているので、私も耳を傾ける。
少なくとも、これからは今までの人生よりは短くなるのだ。やりたくないことを無理に我慢してやっている時間なんてあるんだろうか。いや、ない。ないはずだ。
この先はもう、自分に優しく、良性のわがままで生きていきたい
ここまで来たらもう、今までのように『何かを達成するために』『家族のために』働いたり走ったりではなく、『自分を喜ばせるために』だけ時間を費やしてもいいんじゃないの、と思う。この先はもう、自分に優しく、良性のわがままで生きていきたい。
この先はもう、やりたくないことはもうやらない、会いたくない人にはもう会わない、でいいんじゃないだろうか。いや、もうそれでいいだろう。
人生は誰のためにあるのだろう。私の人生は私のために、あなたの人生はあなたのためにある。あなたの時間は、いつまでも誰かのためにあるわけではない。あなたの人生は、あなたのためだけに使う。無駄なことをしている暇はない。
やりたくないことをやっている暇はないのだから、やりたくないことは自分の人生から省いていこう。合わない人も省いていこう。それでできた時間で、本当に自分のやりたいこと、本当に会いたい人との時間をより多く丁寧で濃密なものにして、楽しいことだけやって生きていこうとしたってなんの罪もない。
『やりたくはないが、やらなければいけないこと』なんて、
極力手を抜いていこう
この先は、良性の、自分のことだけ考える人になってもいいと思う。
良性のわがまま。これからの時間は、なんでもいいから自分のやりたいことをやるために思う存分に費やす。趣味のことだったり、仕事のことでも利益のことを考えなくてもいい、利益のことを念頭に置かずにやってもいいプロジェクトに長い時間を費やしてみたりする。
趣味の世界に没頭してその道を極めることも一つだと思うし、旅行してまだ見たことのない景色を見るのもいい。なんでもいい。何か毎日、これをしていれば楽しい、幸せだ、ということばかりで時間を埋めていく。そういったことだけで時間を埋めて、それ以外のことは極力しない。
もちろん、そうはしたいけれどまだ目の前にある仕事を片付けなくてはならない、まだ家事もある、家族にご飯も作らないとなど色々あると思うが、もうそこの『やりたくはないが、やらなければいけないこと』なんて、極力手を抜いていこう。
もうこれからは、誰かのためにすることなんて手抜きでいいと思う。毎日手の込んだご飯を作らなくても、誰も死にはしないのだ。そんなことは自分がやりたい日、まあやってもいいかという気分の日だけ頑張って、あとは堂々とどんどん手を抜こう。手抜き程度のことで誰かに文句を言われても、それは無視してもいいと思う。そのくらいなら家族に迷惑をかける範疇ではない。
『老いてきたけど、まぁ~いっか。』では、「人生の最終章を、思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」を紹介しています。ぜひチェックしてみてください。
(本原稿は、野沢直子著『老いてきたけど、まぁ~いっか。』から一部抜粋・修正して構成したものです)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。
写真/榊智朗