「自分には引き出しがない」下積み期間がなかった葛藤

野沢:というのも、私、下積みもなく急に売れちゃったから。「自分には引き出しがない」っていう感覚がずっとあった。引き出しをもっと増やしたい、どこかで修行期間が必要だ……とは、以前からなんとなく考えてたんですよね。それで、ドラマとかでよく、悶々とした主人公が行く場所といえばニューヨークみたいなイメージがあったから(笑)。

──なるほど……「自分には引き出しがない」。

野沢:今までワーッとやってきて、うまいこと当たってたけど、ハッと気がついたら、「手に何も残っていない感じ」というか。引き出しがないから、これからどんどん消費していくだけで、出すものが何もなくなったらどうなっちゃうんだろうって、すごく怖かったですね。

 当時、「いままで修行してこなかったからだ」とか、「下積みがなかったからだ」とか、ずっとぐるぐる、考えてました。だからこそ、自分のことを誰も知らないところに行って勉強したらどうか、みたいな発想になったのかもしれません。

「圧倒的に優秀な人」との差に絶望したらやるべきたった一つのこと野沢直子(のざわ・なおこ)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。

──それまでは、「運よく上がってこれた」みたいな感覚だったのでしょうか。

野沢:「運よく」とは思わなかったけど、なんだろう、やってることがうまく当たってて。パッと言ったことを面白がってもらえたり、ふざけた歌を受け入れてもらえたり……とにかく、深く考えなくても、直感的に思いついたことをやってたら、なんとなくうまくいった。でも、『夢で逢えたら』で他のメンバーと同じ板に立ち続けていたとき、「このままでいいのかな」って感覚がどんどん大きくなっていったんです。

圧倒的な実力差に苦悩した20代

──意外でした。野沢さんでも、そんな焦りがあったとは。

野沢:でも、6人でやってたんですけど、あとから聞くと、他のメンバーにも、そういう思いはあったみたいです。全員が全員じゃないけど、「周りがすごいから足引っ張らないようにするのが精一杯だった」という話は、年齢を重ねてから聞くようになりました。

 当時はお互い、そんな本音は言えなくて。別にライバルというわけじゃなかったけど、年代が近いし、みんな若かったこともあって、言いづらかったのかもしれません。スタッフもみんな若かったんですよ。だから、いったん本番になると、「しのぎ合い」みたいな空気になっちゃってたんですよね。

──そうですよね、錚々たる顔ぶれで。

野沢:みんな何やっても抜群に面白くて。かなわないんですよ、本当に。

──かなわない。

野沢:かなわない(笑)。コントにも一応台本はあるんだけど、アドリブですごく広げてくるんです。「えっ、この台本をこんなに面白くしちゃうんだ!」と、毎回毎回、才能を目の当たりにして、そのたびに「はあ……」ってなってて。自分が何もできないのが情けなくなっちゃって。

──それは、「私の方が頑張ってるのにどうして公平に評価されないんだろう」みたいな、理不尽さへの憤りというよりも、「圧倒的な才能」との差に愕然とする……みたいなニュアンスの方が近い?

野沢:うん、「理不尽だ!」みたいな感情はなかったですね。単純な実力の差。でも、「どう頑張っても越えられないことがわかっている相手」と一緒に仕事し続けるのって、結構きついんですよ。もちろん楽しいこともたくさんあったんだけど、他の番組に行っても、それを引きずってしまう時期もあって。「私なんて何も面白くないんじゃないか」「どこが面白かったんだっけ」ってぐるぐる考えてばかりで。

 仕事量も多かったので、消費・消費・消費で引き出しがガンガンなくなっていくことへの危機感は、どんどん強くなっていきました。

──ニューヨークに行ってまず何をされたんですか。知り合いは……。

野沢:知り合いは唯一ひとりだけ、という感じでしたね。その知り合いにいろいろ聞いて、英語がまったく喋れなかったから、まずは英語の学校に行って。その後、渡米して3、4ヵ月後くらいには、スタンドアップのコメディクラブに行って出るという、かなり無謀なことをしていました(笑)。