圧倒的な男性社会である自衛隊。そんな中で、女性自衛官の草分け的存在として道を切り開いてきたのが竹本三保氏だ。信念に基づき自衛隊生活を全うし、2011年に1等海佐で退職した竹本氏は退官後、公立高校の校長、奈良県教育委員会参与を経て、現在は奈良女子大学で教べんを執る。竹本氏が“国防”と“教育”に身をささげた理由やその思いを聞いた。(ライター 松田小牧)
自衛隊を退官後
公立高校の校長に
竹本氏は1956年、京都府城陽市で産声を上げた。中学生のころには元海軍の予科練出身の父や海上防衛の重要性を訴える中曽根康弘元首相の影響から「日本を支える二本柱は“国防”と“教育”だ」と考え、海上自衛隊への入隊を希望するようになった。しかし、当時女性の入隊を認めていたのは陸上自衛隊のみ。奈良女子大在学中に海上・航空自衛隊への門戸が開いたことで、同大卒業後の1979年、満を持して海上自衛隊へ入隊した。
幹部候補生学校卒業後は通信職種に配置されたものの、まだ「女は乗せない戦艦(いくさぶね)」と、艦艇に女性が乗ることが許されなかった時代。「女は家で掃除、洗濯をしてろ」「俺の目の黒いうちは子どもを産ませない」――。このような暴言をぶつけられることも珍しくなく、職種の専門性を高めるために暗号領域の勉強をしようとしても「女は辞めるからやらせない」と却下された。
それでも、以前からの夢であった自衛隊をやめようと思ったことはなかった。淡々と職務にまい進するうちに、徐々に竹本氏自身を評価してくれる人も増えてきた。2011年に中央システム隊通信隊司令(1等海佐)で退官するが、「自衛隊での生活はとても楽しい、充実した日々だった」と振り返る。