ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」「生きる勇気が湧いてきた」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「人はなぜ勉強するのか?」たった1つの意外な答えPhoto: Adobe Stock

「中世の教育システム」の特徴とは?

 中世の教育は三学と四科で構成されていました。文字通り、三学は3科目を教え、四科は4科目を教えることが由来になっています。

 三学では、文法学、論理学、修辞学を、四科では算術、幾何学、音楽、天文学を教えました。中世では、命題を作る訓練を第一段階とし、次に、論理を介してその命題にアプローチすることを問題解決への第二段階だと教育しました。これは一種の自己表現の訓練です。

「勉強の目的」とは?

 この過程を通して、学問の領域を超えた人生という次元で、本質的な論理を確立させようという狙いがありました。

 つまり、自己の目標と方向性を一致させる訓練だったといえます。

 若い世代に対する中世の教育で注目したいのが、自分自身に関心を持たせ、各々が人生の目標を立てられるよう手助けをしていたという点です。

 私は、これこそ今日の世にとても必要なことだと見ていて、大学が果たすべき役割もまたここにあると思っています。

 大学は、就職に必要な卒業証書をもらうための場所ではなく、若者が自らと向き合いながら真理を探求し、生きる楽しみを見いだし、未来を設計する手助けの場所であるべきです。

自分自身としっかり向き合う

 学生たちに対しても、大学生活を送る上で何となく目標を立てるのではなく、自分という人間について考察する過程に重きを置いてほしいと伝えています。自分は何が好きなのか、何をしているときが楽しいのかを細かく観察する。春の日の陽炎を見ようと意識を集中させるように、心の中の陽炎も自らを注意深く観察すればこそ見えてくるのです。

 今のあなたの姿がすべてだと思ってはいけません。老若男女問わず、それぞれに生きてきた背景があり、何か問題が起きるたび自ら解決してきたでしょう。その過程で論理という枠が私たちの中にできあがっているのに、その存在に気づいていないのです。

 ですから、自分の中にある論理に出合うためにも、時間をかけて自らを見つめ直すことが必要です。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)