親が子どもを育てる、上司が部下を育てる。その時に重要なのは、「どう教えるか」よりも、育てられる人が育てる人に魅力を感じるかどうか、です。シンプルでちょっと残酷な話、「この人から学びたい」と思える人からしか学ぶことはできない。ならば、魅力的な大人とはどんな人なのでしょう?
『13歳からの地政学』田中孝幸氏と、『子どもが「学びたくなる」育て方』矢萩邦彦氏の「分断を埋める対話」対談、最終回。親も上司も社長もコーチも、すべての「育てる人」へのメッセージです。(取材・執筆/岡田寛子、構成/編集部:今野良介)
台本のない学び
――第一回、『13歳からの地政学』の「カイゾクさん」のような大人がもっとたくさんいれば、子どもたちも自由に考えたり、学んだりできるのかもしれないと感じました。しかし、カイゾクさんのように豊かな経験や知識がない大人でも、子どもに教えられることはあるのでしょうか。
矢萩邦彦(以下、矢萩):僕は、「人は人から学ぶようにできている」と信じています。それだけ生身の人との対話には力がある。だから理想としては、いろいろな価値観の大人が子どもの周りにいて、それぞれの持ち味で子どもと対話をしていくのがいい環境だと思います。
でも、今はどちらかというとその逆ですよね。親や親戚をのぞけば、学校や塾の先生といった、均一な価値観の、限られた大人しか子どもに接する機会がありません。ここが少し問題だなと感じます。
昔、先生がいくら替わっても同じ授業を保証することを売りにしている塾があったんですよ。その塾では「ここでこのギャグを言う」というところまで台本になっている。そんな授業がウケるわけがないですよね。
田中孝幸(以下、田中):それはキツい……。
矢萩:キツいです。講師にとっても生徒にとっても苦行ですよ。生身の人間同士のやりとりには「今ここで言わないといけない」というタイミングが必ずありますよね。対話も学びも、台本通りにやったっておもしろくないんです。
「準備をしなければならない」とか「役に立たなければ学びではない」と思いすぎないこと。とにかくその場を楽しむ、おもしろがること。
たとえば、子どもがめんどくさいことを聞いてきたときに「なんだこれ、めんどくさすぎておもしろい」と思えるか。子どもの考えや捉え方そのものを大人が楽しむことがすごく大事だと思います。
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授、株式会社スタディオアフタモード代表取締役CEO
一児の父。親の強い希望で中学受験をしたものの学校の価値観と合わず不登校になり、学歴主義の教育に強い疑問を抱えて育つ。1995年、阪神・淡路大震災の翌日に死者数で賭け事をしている同級生を見てショックを受け、教育者の道を歩み始める。大手予備校で中学受験の講師として10年以上勤め、2014年「すべての学習に教養と哲学を」をコンセプトに「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。教師と生徒が対話する授業、詰め込まない・追い込まない学びにこだわり、「探究型学習」の先駆者として2万人を超える生徒を直接指導してきた。2022年10月、初の単著『子どもが「学びたくなる」育て方』を上梓。
「ひとりごと」から対話が始まる
矢萩:対話が学びになるんです、と僕が提案すると、大人は「じゃあ、学びになりそうなネタを探そう」と思いがちなんですが、それではうまくいかないことが多いと思います。
――どうするのがよいのでしょう?
矢萩:ひとりごとを言うんです。
――え、ひとりごと、ですか?
田中:あ、おもしろいわ。
矢萩:それですよ(笑)。とにかく自分の中に湧いてきた疑問や感想を「声に出す」と意識する。
たとえば家具を見ていて、「なんでこの部品ここにあるんだろう?」「これ短すぎじゃね?」とか言うような感じです。すると、子どもたちも似たような視点で疑問を口にするようになるんです。
それを大人が逃さずキャッチする。「あ、君も短いと思う? どれくらいの長さがいいと思う?」そうやって対話が始まる。
子どもは、そうやって大人の真似をしながら、自分で考えるための視点を吸収していくんですね。
田中:子どもって、聞いていないように見えて、じつはものすごく大人の言葉を聞いていますよね。
うちの子が「なんで手を洗うの?」と聞いてきたときに、わたしが適当に「ばい菌がついてると病気になっちゃうからだよ」とか説明をするわけです。それで、あれ、あんな言い方でよかったのかなとか後でちょっと不安になって、いろいろ調べてからもう一度説明し直したりするんですね。
そうするとですね、「さっきと説明が違う」って言いますからね。2歳児でも言いますからね。
矢萩:ほんとうに、子どもはよく聞いていますよね。だから「たぶんこうだと思うんだけど」とか「これは科学的にも諸説あるのだけれど」みたいな前置きと「そこで、君の意見も聞かせてほしい」というフォローが大事なんです。
捜査一課の「思考の整理法」
田中:これは、取材中に捜査一課の刑事さんに教わった方法なんですけれど「A3の紙」に情報を全部書き出す、という方法は、親子にもおすすめです。
刑事が事件の捜査をするときには、情報をすべてチャートにして眺めるそうなんですけれど、「全部並べて同時に見る」ことがポイントで、それまで見えていなかったものが見えてくることがあるんだそうです。私自身も、複雑な事件の記事を書くときはよくやるんですけれど、見えていなかった因果関係や背景に気づけることがある。
同じように、あるテーマについて「子どもが考えていること」を1枚の紙に書き出してもらうんです。そして、親子で一緒に眺める。
長男や次男と進路について話したときには、「この学校に行きたい」「これが学びたい」「こういう目標がある」「通学路はどうなっている」とできるだけ細かいことまで思いつくままに全部書き出してもらいました。すると、ひっかかっていた部分も、このポイントを押せば解決するんじゃないかというヒントが見えてきて、とても役に立ちました。
紙は小さすぎても大きすぎてもやりにくいので、A3くらいが書き甲斐があってちょうどいいと思います。
矢萩:それはいい方法ですね。思考って、脈略がないように思っていても、じつはものすごく連なりがあるものなんですよね。「こう考えたから、この考えが生まれた」という思考の過程を自分で確かめられるのがすごくいいと思います。
小学生くらいの子でも、書くのが好きな子だったらきっとハマるだろうなあ。
暗記から、本当の科学教育へ
田中:日本の若者を見ていると、謙虚すぎるところが気になります。じっくり対話をしてみると、ちゃんと自分の意見を持っている。もう少し自信を持てたらいいだけだと思うんです。「まず考えをまとめてから」「話すことをメモしてから」とか、自分も含めて日本人はやりがちです。世界には、もっといい加減に、ラフに話す人はいくらでもいるのに。
――私もやりがちです…!
田中:それから、日本人の多くは「自分は英語が苦手だ」と思っているけど、ヨーロッパには自分のしゃべっている英語がスタンダードだと思っている人がたくさんいます。
この間、耳を疑ったことがありました。
スロバキア人、ハンガリー人と私の3人で議論していたとき、ハンガリー人がちょっと席を離れたんですね。そのすきにスロバキア人が「……彼の英語、ヘタだよね」と私に言うんです。「いやいや、どう考えても君の英語が一番ヘタだから!!」と、私は謙虚な日本人なので心の中でしか言いませんでしたけど。
国際政治記者
大学時代にボスニア内戦を現地で研究。新聞記者として政治部、経済部、国際部、モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、世界40ヵ国以上で政治経済から文化に至るまで幅広く取材した。大のネコ好きで、コロナ禍の最中で生まれた長女との公園通いが日課。著書に『13歳からの地政学』(東洋経済新報社)。
矢萩:(笑)。
「自信を持つ」ためには、対話に慣れていく、対話によってアップデートされる経験を積むことが近道なのですが、現代ではそれがいちばん難しかったりしますよね。
子どもがいろんな価値観の大人と話をするのが理想的ですが、落語に登場する「長屋のおっちゃん」のような大人が子どもに話しかけると通報されるような時代になって、今の日本で日常的に多様性を学ぶのは難しいです。
だからこそ、僕は学校の中で「本物の科学教育」をしていくべきだと思うんです。
まさに前回田中さんがおっしゃったように「エビデンスも仮説のひとつである」ということを、ちゃんと教育の中で伝えるということです。
そうすれば「たったひとつの正解」を丸暗記するような学びでなく、自分で考えて、仮説を立て、検証し、答えを探すということがスタンダードになっていくと思います。
「学びは楽しい」と伝えること
――最後に、お二人が考える「学びの意義」について、ひと言いただけますか?
田中:やっぱり、「学ぶのは楽しい」ということです。学ぶために苦しむ必要は全然ないんだよと、子どものそばにいる人たちにわかっていてもらいたいなと思います。
それから、答えがないことに苦しむ必要もないです。答えがないからこそ考えるのが楽しいんだと親子で思えれば、学校の勉強でも受験でも、苦しまないでやれると思います。
矢萩:子どもって、ゲームが好きですよね。勉強もゲームだととらえるといいと思うんです。「経験値」をためるとレベルアップできるゲームです。手に入れた「アイテム」は効率や気分を変えますし、「町の人」から聞いた話は、伏線となって人生のどこかで回収されていく。ゲームの主人公は画面の中じゃなくて生身の自分ですから、おもしろくないわけがない。
そしてゲームと同じように、現実世界にも「知っている方が楽しめる場面」が必ずあります。たとえば地政学を学んでから旅行へ行ったり、映画を見たりすると、何倍もおもしろい体験ができたりします。
そんなふうに、「学ぶのは、楽しいことを経験するためなんだよ」と大人が身をもって伝えていくことも大事だと思います。(連載終わり)