「悪口」ではなく「批評」を含む漫才

 さて、ここまで「悪口」と書いてきたが、筆者はあれは「悪口」ではなく、「批評」を含むものだと思った。「ウザい!」「うるさい!」など、表現が直接的でシンプルすぎるきらいはあるものの、対象の一面を切り取り、ある程度の共感を得る言葉にまとめている。説得力がある。

 ウエストランドは爆笑問題が所属し、太田光の妻・太田光代が代表を務める「タイタン」の所属だ。ちなみに、M-1で吉本興業以外の芸人がグランプリを取るのは昨年の錦鯉に続いて2年連続だという。時事を批評するネタの強かった爆笑問題からの影響について、過去に井口は「時事ネタを爆笑問題さんから受け継いでいるとも言えるかも。おこがましいですが、僕らは半径5km以内の時事ネタをやってます」とも語っていた(参考:「枯渇することのない“悪口の時事ネタ”ウエストランド」2017年2月13日/PICT-UP)。

 しかし昨今では、とかく批判を含む批評が嫌われるという。批評は単なる悪口ではなく、その業界を活性化させるための議論でもあるはずなのだが、それが悪口と混合されてしまうところに、大げさに言えば文化の行き詰まりを感じる。

「人を傷つけちゃいけない」という点で審査員が混同していること

 また、一部の芸能人の反応は、問題を混合させていないかと感じた。

 審査員の立川志らくは「今の時代は人を傷つけちゃいけないってなっているけど、あなたがたがスターになってくれたら時代が変わる。そういう毒があるのが面白いので、これが王道になってほしいという願いも込めて」と感想を話した。

 松本人志も「こんなちょっと窮屈な時代なんですけど、キャラクターとテクニックさえあれば、こんな毒舌漫才もまだまだ受け入れられるという夢を見ました」と語っている。

 どちらも今の時代についてを「人を傷つけちゃいけない」「窮屈」と位置付けている。

 実際のところ、特に2010年代から広告やお笑いのネタ、さらにはタレントのバラエティー番組での発言が次々に炎上している。時には企業や個人が謝罪する事態となっている。

 しかしそれらは、悪口を言っていたから、もしくは毒を含んでいたから炎上したのだろうか?

 記憶に残る炎上のすべてがとは言わないが、そのうちのいくつかは、発言者・発信者の無自覚や無知が原因だった。