養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛している話題書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」を解明した同書のオリジナル版は、刊行直後から世界で大きな話題を呼び、早くも映画化が決定した。待望の日本語版が刊行されたことを記念し、本文の一部を特別に公開する。
西洋哲学は「対等」という言葉につまずく
セプウェップム族の長老メアリー・トーマスの母親と祖母マクリットは、アメリカシラカバに感謝し、必要以上のものを収穫せず、お礼に供え物をするよう彼女に教えた。メアリー・トーマスはアメリカシラカバを「マザーツリー」と呼んだことさえあった──私がその概念を思いつくよりずっと前に。
メアリーの部族の人々は、何千年も前からアメリカシラカバを通じてそのことを知っていたのだ。彼らの大切なわが家である森に暮らし、すべての生き物たちに学び、対等なパートナーとして彼らを敬うなかで。
西洋哲学はこの「対等」という言葉につまずく。西洋哲学は、人間はほかの生き物よりも優れていて、自然を支配するものと考えるのである。
「アメリカシラカバとダグラスファーは地下の菌類ネットワークを通じて会話する、っていう話をしたの覚えてる?」と私はそう言って、片手を耳に、もう片方の手の指を唇に当てた。
3人はじっと耳を傾けた──蚊の羽音に邪魔されながら。このことを理解したのは私が初めてではなくて、多くの先住民族が古くからこのことを識っていたのだ、と私は言った。
ワシントン州オリンピック半島の東側に住むスコーミッシュ族の、いまは亡きブルース・スビイェイ・ミラーは、森に存在する共生関係と多様性についての物語を語り、森の地面の下には「根と菌類が構築する複雑で広大なシステムが広がり、それが森の強さを保っている」と言った。
「科学のレンズ」で世界を見渡し、
「先住民の叡智」にたどり着いた
「このパンケーキマッシュルームは、地下にある菌類のネットワークの子実体なの」と言いながら私がヌメリイグチ属のキノコをケリー・ローズに渡すと、彼女はその傘の裏の小さな孔をしげしげと観察し、どうしてそのことをみんなが理解するのにこんなに時間がかかったのかと訊いた。
私はその叡智を、西洋の科学という頑ななレンズを通してたまたま運よく垣間見ることができた。
大学では、生態系をバラバラの部分に分けて、木や植物や土壌を別々に観察することを教えられた──森を客観的に見るために。こうして森を解剖し、支配し、分類し、感覚を麻痺させることで、明晰で信頼に足る、正当な知識が得られるはずだった。
ある一つの体系をバラバラにして、その一つひとつの部分について考えるというやり方に従うことで、私は学んだ結果を論文として発表することができた。
そしてまもなく私は、生態系全体の多様性とつながり合いについての論文を書くのがほぼ不可能であることを知ったのだ。
対照群がないではないか! と、私の初期の論文の査読者は叫んだ。
私は、実験に使ったラテン方格[訳注:n行n列の表にn個の異なる記号を、各記号が各行および各列に1回だけ現れるように並べたもの。効率よく実験を行うために使われる]や要因計画、同位体や質量分析計やシンチレーションカウンター、それに統計的有意性のある顕著な差だけを考慮する訓練などを通じ、ぐるりと一巡して先住民の人々が持っていた叡智に辿り着いたのだ──多様性が重要だということに。
そして、この世のすべては実際につながっているのである。
森と草原、陸と海、空と大地、精霊と生きている人々、人間とそれ以外のすべての生き物が。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)