今日は学校で体育大会があって疲れたから休みます、は許されない。親は毎日、声優のトレーニングを執拗に求め、H君がさぼったときは「さぼったな」と言ってやればいい。そしてさぼる日が優勢になれば(大半そうなる)、親として支援できないと宣言すればいい。子供には反論の余地はない。対し、毎日熱心に練習し、コンテストでも入賞する実績をあげれば、適性も意欲もあると考え、容認すべきだろう(そうはならない確率が圧倒的に高いが)。

 現実のH君はどうなったのか。父親は私の提案に従い、淡々とトレーニングの重要性を説き、練習を休んだ日は厳しく問い詰めた。結果、H君はトレーニングを始めて1週間後、父親に「うるさい!」とキレた。私は、もって2週間と事前に両親に宣言していたが、想定より早くH君は日課を放棄した。彼には最初から無理だった。声優専門学校は単なる逃避であり、言うならば親に対する嫌がらせに過ぎないからである。

理系父に対する強いコンプレックスが顕に

 後日、両親と共に私の事務所に現れたH君は、なぜこんなところに、という嫌悪感に溢れる表情を浮かべていた。私は彼に、君の進路のことで御両親から相談を受けていた、今日は君の進路について御両親の考えを正したく君も呼んだのだと告げた。

 私は、まず母親にH君を育てる過程で感じた感動や喜びを言葉にするよう依頼した。これは事前に母親とだけメールで打ち合わせをしていたため、母親は臆することなく語り出した。出産の感動、幼稚園の卒園式での言葉に感心したこと、読書感想文で教師から褒められて自分のことのようにうれしかったこと、中学入試の模擬試験で、国語で塾内ベストに入って驚いたこと。母親の言葉にH君はもちろん、父親も驚いていた。

 次に父親に対して、間断なく質問を発した。理系でなければ人間負け組ですか? 理系でなければ人間としての価値は一段落ちますか? 理系は偉いと家庭で仰ってるそうですが息子さんの読書感想文に対して称賛しましたか? 国語でいい順位を取ったときに、凄い、立派だと褒めましたか? 全て否定の答えになる問いかけばかりをしたことは言うまでもない。

 H君は黙って親と私のやり取りを聞いたあと、「国語の順位の話になったとき、お父さんは『数学がこれじゃあな』と言ったんだ」と俯いたまま静かに口を開いた。この言葉に父親は驚きの表情を浮かべた。発した本人すら忘れていることを、H君が明確に覚えていたことへの衝撃である。傷つけたほうは忘れ、傷つけられたほうは忘れない、その典型だろう。