記事への疑問、反発を覚えている人たちの意見を要約すると「若者はシンプルライフを求めているわけではなく、金がないのだろう」ということである。個人差はあれど、景気の悪化や上がらない賃金にそれぞれ直面しているであろう若者たちが風呂なしの賃貸を選ぶのは、まず金銭的な事情があるはずである。
しかし、あえてそこからやや目をそらし、もっともらしい理屈(コロナ禍で交流に飢えていた人たちがその場を求めた、など)で語ることに違和感を覚える人が少なからずいたのだろう。
フリーライターの赤木智弘氏は、WEB論座に寄稿した「『風呂なし物件が人気』という安直な報道が覆い隠すもの」(23年1月5日)で、自身も20代の頃に風呂なしアパートで生活していたといい、それは単純に家賃の節約のためだったと述懐する。
また、「自分のライフスタイルを自信を持って表に出せる人だけが取材に応じているわけで、『お金を節約するために仕方なく風呂なし物件に住んでいる人』は、自分の生活をあまり見せたくはないだろうから、なかなか取材に応じない」と書いている。
確かにこれはその通りだろう。筆者が見たYouTubeの若者も、彼がその生活を楽しんでいるから、視聴者が「こういう生活もありだな」と思う仕上がりになっているわけだ。
ミニマリストの生活を楽しむ若者は実際にいるだろうし、ポジティブに清貧生活を営むのは悪いことではない。しかし一方で、毎日の暮らしと将来への不安を抱える若者は確実にいる。若者の風呂なしアパート暮らしを、経済新聞がポジティブな面だけで取り上げることに、イラつきを覚えた読者が多いであろうことは想像に難くない。
少し前であれば、このようなミニマリストの記事はそれなりに好意的に受け止められていた。「意識高い」と鼻白む層もいたものの、「主体的なわけではなく、貧困だからしょうがないのだ」という意見は多くなかったように思う。背景には、それだけ庶民感覚での困窮があるのだろう。
日経新聞を読む経営者たちがこの感覚でいてほしくない、という思いもあるだろうし、エリートの記者に庶民感覚がわかるのか、という反発もあるだろう。
子どもを多く持てない理由に「経済不安がある」という調査結果があるにもかかわらず、そこから目をそらし個人の努力不足と結びつけたがる政治家たちにも似ている(※詳細は「麻生太郎氏また失言『出産女性の高齢化で少子化』、子育て世代に責任転嫁の絶望」)。