ダイヤモンド編集部の信金ランキングで1位に輝いた西武信用金庫は2019年に不適切融資で業務改善命令を受け、さらにその30年前には「西武信金は2年でつぶれる」とささやかれた窮地があった。数々のピンチを打開し、いかにして全国ナンバーワン信金に上り詰めたのか。特集『銀行・信金・信組 最後の審判』(全16回)の#15で、高橋一朗理事長に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 重石岳史)
「お金を集めるだけの金融は役立たない」
バブル崩壊で西武信金が予見した未来図
――西武信用金庫をランキング1位に押し上げた要因の一つは、約67%という高い預貸率にあります。一方で不良債権比率は低い。なぜ、これを実現できているのでしょうか。
僕が西武信金に入ってちょうど40年になりますが、最初の約10年間は昭和の時代でした。「新しい工場を造りたい」「人を大勢雇いたい」「新製品を開発したい」。お客さまからそんな良い話をたくさん聞きました。
僕らは1日50件、60件と自転車で回るわけです。どのお客さまももうかっていて、借り手はたくさんいた。(銀行の貸出額が、自らの預金額を超える)オーバーローンの銀行も多く、僕らの預貸率もピーク時は9割を超えた。そんな時代でした。
ところがバブル経済が崩壊し、それが突然崩れてしまった。お客さまが昨日まで一生懸命作っていた部品の注文が急になくなり、納品先の大手企業から「中国で購入するから要らない。対抗したかったら、中国の部品よりも安く小さく軽く、早く納めてほしい」と言われるわけです。大手企業は海外に拠点を移し、中小企業は置いてけぼりにされた。
かつてのように人口が増えなくなり、ただお金を集めているだけでは金融は役立たなくなる。お客さまが赤字になればお金を貸せない。僕らはそのとき、そんな時代が来ると予見したのです。
――30年前にそれを予見し、何を変えたのでしょうか。
集金業務をやめたんです。それまでのように集金を主体に1日50件回ると、1社当たり2、3分しかいられない。その10倍の時間をかけて、お客さまの本業支援をやろうと。お客さまの売り上げをどう伸ばすのか、どんな技術開発をすれば中国の部品に勝てるのか。そんな相談に乗るとわれわれは決めたのです。
ところが、僕らにはやっぱりできなかった。インターネットがまだない時代、自分たちで一生懸命調べ、提案書を作りましたが、融資はうまくいきませんでした。中小企業で新商品を開発しても、大手企業にまねされてしまう。集金をしなくなったので、預金も見事に減りました。集金をやめたとき、「西武信金は2年でつぶれる」と言われましたが、本当に駄目になるのかと当時は思いましたよ。
でもその過程で気付いたのです。僕らは素人でも専門家は知っている。大学の先生や中小企業診断士らは、僕らにない知恵やノウハウを持っている。
そういった専門家を中小企業に紹介したり、お客さま同士をビジネスマッチングでおつなぎしたりする。僕らはコーディネートする係になろうと決めたのです。そのために全ての営業マンを「コーディネーター」という名称に変えました。そのビジネスモデルが僕らの事業の根幹です。
西武信金は2年でつぶれる――。集金業務をやめたことでそうささやかれたのが約30年前の出来事だ。そこから紆余曲折を経て西武信金は融資先支援という新たな道を切り開く。だが危機は2019年に再来した。投資用不動産などへの不適切融資が発覚し、金融庁の業務改善命令が出されたのだ。そこからいかにして全国ナンバーワン信金に上り詰めたのか。逆境から回帰すべき「原点」を見いだした試行錯誤について、高橋一朗理事長が明かす。