ところで、江戸300藩の殿様は、その半分以上は、あとで詳しく説明するように、愛知県出身である。その殿様たちは、家臣の武士たちも新しい領地に連れてくるのが原則で、現地採用は非常に少ないから、上級武士は極めて高い割合で愛知県出身者だった。
ただし、愛知県といっても尾張と三河では、かなり気風が違うことは、「どうする家康」でも少し誇張して面白おかしく描かれている。
尾張は織田信長や豊臣秀吉に代表されるように、かなりベンチャー的だ。大河ドラマでは奇抜で竜宮城のような清洲城が、清洲を訪れた家康と家来たちを驚かしていた。これは史実ではないが、イメージとしてはぴったりだ。家臣もチャンスを求めて集まった野心満々の若者が集まっている。
それに対して、三河の松平の居城である岡崎城は、なにやら、農家の延長のようで、家臣たちも自分の屋敷と所有地を「一所懸命」守りたい一心である。
現代の政治でいえば、尾張の織田家中は日本維新の会のような雰囲気で、目立ちたがり屋のトップとチャンスを求めて集まった中堅だらけである一方、三河は地方議員が強くて国会議員の意のままにならない農村地帯の自民党のようなものだ。
それでも家康が忠誠度の高い譜代の家臣団を作れたのは、派手に領地・禄高(ろくだか)を増やしたり、抜てきしたりすることはないが、忠実に仕えていると、必ず報いてくれるし、死んでも遺族の面倒をしっかり見ることで、堅実な三河人たちのハートをしっかり捕まえたからである。