「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が3月1日に刊行された。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な戦争・反乱・革命・紛争を、「地域別」にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。元外務省主任分析官である佐藤優氏も絶賛の声を寄せる本書の内容の一部を、今回は特別に公開する。

わずか100日で約100万の人が亡くなった「ルワンダ虐殺」とは?Photo: Adobe Stock

かつての支配国ベルギーが、
ルワンダに民族差別を持ち込んだ

 20世紀には「6大悲劇」と呼ばれる出来事があります。オスマン帝国によるアルメニア人虐殺、ウクライナで起こった大飢饉ホロドモール、中国共産党による文化大革命、カンボジアのポル=ポトの虐殺、ナチスによるホロコースト、そしてこれから述べるルワンダ虐殺の6つです。今からほんの30年前、ルワンダ全国民の10~20パーセントが殺害されるというおぞましい出来事が起こりました。

 アフリカ中部に位置するルワンダは、19世紀のアフリカ分割にてベルギー領となりました。もともとルワンダには、ツチ人フツ人という2つの民族が存在し、それぞれの区別はあいまいだったようです。しかし、ベルギー人が入植して以降、両民族は明確に区別されるようになります。

 ベルギー人は「ハム仮説」というイデオロギーをもとに、2つの民族を明確に区別しました。ツチ人はアフリカに文明をもたらした「ハム人種」、フツ人は下等な「アフリカ土着人種」として、ツチ人を優遇し、フツ人を差別するようになったのです。

 しかし、第二次世界大戦後、ベルギーはその方針を転換しました。ベルギーとツチ人との関係が悪化したため、今度はフツ人による体制転覆を支援するようになりました。

 ベルギーに支援されたフツ人は、今までツチ人がついていたさまざまな要職を奪うとともに、これまでの報復としてツチ人を虐殺するようになります。その結果、ツチ人は国外に脱出し、多くの人が難民となりました。このルワンダから逃れたツチ人の難民が設立した反政府組織「ルワンダ愛国戦線」によって、1990年にはツチ人とフツ人による内戦が勃発しました。これがルワンダ内戦です。

わずか100日で、約100万人もの犠牲者が出た

 1993年には、ルワンダ政府とルワンダ愛国戦線との和平協定が結ばれます。しかし翌年の1994年4月、ルワンダのハビャリマナ大統領の乗った飛行機が、何者かのミサイル攻撃で撃墜される事件が起こりました。

 ルワンダ愛国戦線とフツ人の過激派は、お互いに相手側をこの事件の犯人とし、一時は和平に向かった両者の対立は再び激化することになりました。

 そしてフツ人の過激派は、とうとうツチ人を撲滅するための虐殺を開始します。彼らの中には政権に近いエリートがおり、1990年頃から新聞やラジオを使ってツチ人に対するヘイトスピーチを続けていました。このときも、ラジオなどを使って、「年齢、性別にかかわらずツチ人を皆殺しにしろ」と民間人を扇動し、これに賛同しないものはフツ人でも殺しの対象とする、としました。その結果、100日間でなんと約100万人もの犠牲者が出てしまったのです。

 このルワンダで起きた大虐殺に対して、国際社会は適切に対処しきれませんでした。国連は事態への介入に消極的で、ルワンダから再三の支援要請があったにもかかわらず、これを黙殺していたのです。国連が重い腰を上げたのは、50万人もの人々が虐殺されてからのことでした。

 私たちが理解しなければならないのは、この人種差別はヨーロッパ人が持ち込んだものであるということです。2022年現在もなお、虐殺の加害者は生存し、生き残った被害者の多くはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいます。

(本原稿は、『東大生が教える戦争超全史』の内容を抜粋・編集したものです)

東大カルペ・ディエム
現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。