「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が3月1日に刊行された。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な戦争・反乱・革命・紛争を、「地域別」にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。元外務省主任分析官である佐藤優氏も絶賛の声を寄せる本書の内容の一部を、特別に公開する。今回は、インドとパキスタンによる「カシミールをめぐる紛争」について紹介。
もともと1つの国だったインドとパキスタン
現在も対立関係にあるのがインドとパキスタンです。この2つの国は、もともと1つの国でした。
長らくイギリスの植民地であったインド帝国は、第二次世界大戦後の1947年8月、インドとパキスタンの2国に分離し、独立を果たしました。ヒンドゥー教徒を主体とするインドに対し、イスラーム教徒を主体とする国がパキスタンとなったのです。
当時、インド帝国にはおよそ600の藩王国があり、藩王はどちらの国に帰属するか決めなければなりませんでした。
このとき問題となったのがカシミール地方の帰属です。この地域は、藩王はヒンドゥー教徒、住民の多くがイスラーム教徒という複雑な事情を抱えていました。そして、藩王はインドへの帰属を決めますが、人口の4分の3ほどを占めるイスラーム教徒はそれを拒否し、パキスタンへの帰属を求めたのです。
そこで両国はカシミールに派兵し、帰属をめぐって争うことになりました。これは第一次印パ戦争と呼ばれます。
核をちらつかせての両者のにらみ合いが続いている
1947年に始まったこの戦争は、インド軍優勢のまま、国連安全保障理事会の停戦決議によって終結となりました。その後は、インドが実質的にカシミールを支配しました。
しかし1965年、インドがカシミール地方の完全統合を宣言すると、再び両国の対立が深まります。インドは中国との間でもヒマラヤ地方をめぐる国境問題(中印国境紛争)を抱えていましたが、これに実質的にインドが敗北したことを機に、パキスタンはカシミール地方のインド支配地域へ武装集団を送り込みました。これにインド軍が応じるかたちで、1965年9月、第二次印パ戦争が勃発しました。
しかし、これも国際社会の圧力によって同年9月には停戦しています。国連の監視下でタシュケント宣言が採択され、これに基づき、両国とも軍を撤退させました。その際、「停戦ライン」によってカシミールの国境が定まりました。
しかし、両国ともにカシミール全域の支配権を譲らず、カシミールの実効支配地域に軍を配備して互いにけん制しあっています。1974年にはインドは核保有を宣言し、世界で6番目の核保有国となりました。これに対抗するかたちで、1998年にはパキスタンも核開発を行い、核を保有しました。
このカシミールをめぐる紛争は、現在もまだ解決していません。インド、パキスタンの両国はいまだに対立関係にあり、カシミール問題や宗教問題などで対立する両国が、核戦争という選択に踏み切らないことを願うばかりです。
(本原稿は、『東大生が教える戦争超全史』の内容を抜粋・編集したものです)
東大カルペ・ディエム
現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。