「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が3月1日に刊行される。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な戦争・反乱・革命・紛争を、「地域別」にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。元外務省主任分析官である佐藤優氏も絶賛の声を寄せる本書の内容の一部を、特別に公開する。今回は、タイとカンボジアの間で起きた「タイ・カンボジア国境紛争」について紹介。
フランスが決めたタイとカンボジアの国境があいまいだった
19世紀に入るとフランスが東南アジア進出を進め、カンボジアを保護国化しました。その後フランスは、タイとフランス領カンボジアとの国境をダンレックという山地の分水嶺に定めるも、この国境の認識がタイとフランス側で一致せず、周辺地域の所属があいまいなままとなっていました。これが、後々まで尾を引いてくるのです。
そこからしばらくたった第二次世界大戦後、カンボジアはフランスから独立を果たします。なお、タイは大戦中も植民地にはならず、独立を維持していました。両国がそれぞれに発展を進めていく中で、国境付近の地域をあいまいなままにしておくことはできません。しばらくは、タイ側がこの地域に兵士を配置して実効支配していましたが、カンボジアがこの状況を国際司法裁判所に提訴し、1962年にカンボジアの主権を認めてもらいます。こうして、カンボジアがこの地域を治めることが決まりました。
しかし、ある出来事がこの国境問題を再燃させてしまいます。この地域にあったプレアヴィヒア寺院の世界遺産登録です。2008年、カンボジアの申請によってプレアヴィヒア寺院は世界遺産に登録されましたが、これにタイが猛反発したのです。
実は、この寺院は断崖絶壁に位置しており、寺院に入るためにはタイ側の山の麓を通っていくしかありませんでした。タイからすれば、「そもそもこの地域がカンボジアのものであること自体あまり納得していないのに、カンボジア側からは入れない寺院を自国の世界遺産として登録するとは何事だ!」というわけです。こうして、国境をめぐる問題が再燃し、両者は紛争状態に陥りました。
武力衝突が約4年続くも、結局、カンボジアの地域と決まる
両国の間の武力衝突は、結局、2012年頃まで続くことになりました。もともと裁判所で争うほど難しい地域だったため、お互いになかなか譲ることができなかったのです。
この戦いがようやく落ち着くのは、2011年にタイ初の女性首相、インラックが登場してからです。彼女はカンボジアを訪問し、カンボジアの首相や国王と会談して関係改善を図りました。
こうして両国はようやく雪解けを迎え、2013年には再び国際司法裁判所の判断を仰ぐことになりました。その結果、やはりこの地域はカンボジアのものであるということになりました。
しかし、国境付近に配置された両国の治安部隊は、戦後もしばらくにらみ合いを続けていました。今のところ軍事的緊張はありませんが、いつ状況が変わるかはわかりません。国境をめぐる紛争は、得てして複雑な問題をはらんでいるものです。
(本原稿は、『東大生が教える戦争超全史』の内容を抜粋・編集したものです)
東大カルペ・ディエム
現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。