妻の死に抗いたい夫、本心が言えなくなる妻

たられば:続けて、西先生がお示しになった法会の場面より少し後をご紹介したいと思います。季節は先ほどの春から秋に。死の床に就いた紫の上は、明石の上や花散里など親しい人たちにお別れの和歌を送ります。

 光源氏には繰り返し、自分はまもなく死ぬので、出家して来世のために功徳を積みたいと頼んでいるものの、そのたびに、私も一緒に出家したい。でもあなたは今病気で大変だから、もう少し落ち着いてからにしようと断られている。

 ものすごくリアルですよね。そのうち紫の上は、自分の死期が迫っていることを、最も近しい光源氏に話せなくなっていく。

 代わりに紫の上は、5歳の三の宮に心情を打ち明けます。私がいなくなっても、思い出してくださいますか? と問う紫の上に、三の宮は、とても愛しく思い返すに決まっていますよ。私は帝よりも明石の中宮よりも、おばあさまのことを愛しく思っているんです。

 おばあさまがいなくなったら、私はご機嫌が悪くなってしまいますと、泣いているのを見せないよう目をこすりながら答える。その仕草を見た紫の上も愛しさから涙を落とし、三の宮さまも大きくなったら、私が幼い頃連れてこられたここ二条院に住んで、庭の紅梅と桜の木の世話をしてください。そして時々でいいから、その花を仏壇にお供えしてくださいねと頼む。

 これは本来、光源氏に対して言いたかったセリフではないかと思います。でも今の彼女には幼い子どもに託すしかない。

 僕も2014年に母を亡くしました。寛解が見込めない段階になって緩和ケアに移ると、最期の時間をどう過ごしたいかとか、死んだ後どうしてほしいかといった話は、本人とはできなくなるんですよね。あまりに生々しくて。

 自らがそうした経験をした上で『源氏物語』を読み返したとき、ああ、紫の上は話したかったんだろうなと思ったんです。最期のときをどう過ごしたくて誰に会いたいのか、葬式はどうしてほしいのか……。こういう場合、どうすればよかったんでしょうか。

西:妻が死に近づいていくことに抗うことしかできない光源氏のような人が夫の場合、余計に言えなくなってしまう。この構図は今でもありますね。

たられば:1000年前から同じなんですね。

西:はい。その普遍的な現象を見事に描写しているのが、紫式部の素晴らしさです。夫が妻の死を受け入れられない状態にあると、妻としては夫に本心が言えなくなってきて、結局自分の人生を生きるのを諦めてしまうことが結構あるんです。

「自分はこういう治療を受けたくはないんだけど、私がこの世からいなくなることを夫が受け止められていないので、時間稼ぎというか、夫の気持ちをなだめるために治療を受けようと思います」という患者さんは少なからずいる。それは夫が妻に生を強要していると言えるし、妻は自分の人生を生きていないと思うかもしれない。でも、彼女は自ら「夫のために生きる」ことを選択したわけで、自らの人生を生きているとも言える。

 だから紫の上の「光源氏のために生きる」という生き方も、正しいかどうかという意味での結論は出ません。紫の上の場合は、三の宮という利害関係のない子どもに気持ちを打ち明けざるを得なかったけれど、現代ならその相手は医療者になると思います。